楽しく生活する工夫 2004.9.27 No.51
<楽しく学校に通っていますか>
・ 長く続いた暑い季節がようやく終わり、いろいろな活動がしやすい季節が巡ってきました。今週から始まる10月とその次の11月は、皆さんが思いっきり活動し、実力を伸ばせる時期だと思います。思いっきり活動して実力を伸ばすためには、学校へ通うことが楽しければ楽しいほどいいと思います。
・ すでに学校へ通ってくるのが楽しくてしょうがないという人も、いるでしょう。一方、あまり楽しくないけれど、なんとなく、またはしかたなく学校へ通っている人もいると思います。また、全然楽しくなくて、やっとの思いで通っている人もいるかもしれません。
・ 学校へ通うのが楽しい人も、楽しくない人も、それぞれ、今より少しでも楽しくなるようにするにはどうしたらいいかを、少し考えてみませんか。
<授業と友人関係と部活動・委員会活動で楽しく>
・ 学校が楽しくなるための三大要素は、授業と友人関係と部活動・委員会活動ではないでしょうか。このうちどれかは楽しいとか、2つは楽しいという人もいるでしょうが、この3つがすべて楽しくなると、学校へ通うのがとても楽しくなると思います。
・ 学校では授業で勉強に費やす時間が一番長く、学校に通う目的も授業が中心ですから、授業が楽しいことはとても重要です。新しいことを知ったり、今までできなかったことができるようになることは、それ自体が楽しいようにヒトはできています。ヒトは好奇心を持って新しい知識を獲得し、それを仲間に伝え合うように進化してきたからです。
・ ですから、どんな授業でもよく分かれば、結構楽しくなります。逆に、よく分からない授業は、つまらないことが多いと思います。授業が分かるようになるためには、分かろうとする努力がある程度必要です。科目によっては、分かるために予習が必要です。授業中に分からないところがあったら、できるだけ早く質問をすることも重要です。授業がかなり分からなくなってしまっていたら、分からなくなってしまった理由をよく考えて、とにかく追い付くことが必要です。時には、先生に授業の進め方を変えるように頼んだり、補習をお願いすることもあっていいと思います。
<楽しくない原因をとりのぞく工夫>
・ 授業は、わかるようになりさえすれば、基本的に楽しくなると思いますが、友人関係や部活動・委員会活動は、楽しくないとしたらその原因を取り除くことが有効なような気がします。
・ 友人関係については、以前校長だよりの「高校生活への助言」にも何回か書きました。友人関係は双方向的ですから、自分と話したり一緒に活動したりすることが相手にとって楽しいと思ってもらえれば、あなたも友人関係で楽しいということになると思います。
・ 部活動や委員会活動も、友人関係、人間関係が基本です。困難や問題が生じたら、なるべく早く他の人たちに話して相談することが有効だと思います。
授業を改善して力を伸ばそう 2004.10.4 No.52
<皆さんの授業を見せていただいていることについて>
・ 先々週から、皆さんの授業を参観させていただいています。突然、校長が授業にやってきて、一時間、教室の後ろに座っていてメモをとったりしているので、気になって少しいやだなと思っている人もいると思います。何のために校長が授業を参観しているのか解っていただければ、いやだなと思っている人にも少しでも納得いただけるかと思い、説明してみます。
・ どの都立高校でも、校長は毎学期、すべての先生の授業を参観することになっています。その目的は、次の3点にあると私は考えています。(1)校長は学校の責任者ですから、学校の活動の中心である授業についてよく把握して説明を求められたら答えられるようにしておくこと。(2)授業の進め方について先生たちと意見交換や研究をして授業を改善すること。(3)生徒の授業の受け方について伸ばしたい点や、要改善点を把握して対処すること。
<附属高校の授業のどんなところを伸ばしたいか>
・ 附属高校の校長になって授業を見せていだくようになって、もう5学期目です。この学校の授業の特徴がだいぶ分かってきました。良い点をさらに伸ばし悪い点を改善することによって、生徒の皆さんの学習の効果がもっと上がるようにしたいと思っています
・ 授業では、たくさんの知識を覚えて使えるようにすることと、自分で考える力をつけて未知の問題を解き新しいものを作り出せるようにすることの、両方が必要だと私は考えています。この両方ができるようになるためには、授業で次々に扱われる新しいことを、単に機械的に覚えるのではなく、自分でよく考えながら覚えるのが大切だと思います。
・ よく考えながら覚える授業の一つの方法が、先生と生徒がよく言葉を交わしながら授業を進める双方向的な授業です。先生は、生徒にたくさん質問をし、発言を促します。生徒は自分からも積極的に質問します。附属高校の授業は、日本の多くの高校に比べ、そのような双方向的な授業がうまく行われている方だと思います。それをさらに伸ばしていきたいと思います。
<附属高校の授業のどんなところを直したいか>
・ 授業を参観させていただきながら、改善したいと思うところもいろいろメモしています。この校長だよりはホームページでも公開していますから、恥ずかしくもあるのですが、思いきって書きます。
・ 始業のチャイムがなってから始めの約3分がざわついていて授業を受ける体制になっていないクラスがまだ多くあります。その間にジュースを飲むことや、飲みかけのジュースを机の上に置いて授業を受けるのもやめましょう。授業中に携帯メールをする人も、授業をしている先生にはわからなくても、後ろでみているとよく分かります。これもやめましょう。
・ 今年から全部の先生が始めた「生徒による授業評価」も、授業改善に活かすように取り組んでいます。みなさんもどんどん意見を書いてください。
人と野生生物との共存 2004.10.17 No.53
<人里に降りてくるツキノワグマ>
・ 毎日のようにニュースで、ツキノワグマが人里に降りてきて、目撃されたり、人に危害を加えたり、捕獲されたり、射殺されたりする例が報告されています。毎年、何件かは聞きますが、今年は圧倒的な多さです。日本列島を何度も襲った台風のせいで、山の木の実が少ないことが原因だとされています。
・ もともとヒトが日本列島に住み始めるずっと以前から、ツキノワグマは日本列島に住んでいました。現代の我々と同じようなヒトがアフリカで生まれ、世界に広がり始めたのは5万年前と言われていますから、日本列島にそのようなヒトがたどり着いたのは、それより後ということになります。
・ ヒトが日本列島に住み始めた後も、長い間、クマとヒトは、共存してきました。ヒトは、海の近くや、川の近くや、平地に住み、クマは山深い森の中に住むことができたからです。ヒトが森を大きく変えるまで、クマは以前とほとんど同じ暮らしをしていました。
<森を奪われて消えていったクマ>
・ 日本列島は山が多いので、人間がほとんどの平野の森を農地に変えてしまった後も、たくさんの森が残っていました。しかし、百年ぐらい前から、人間が山の奥深くまで、森を変えていきました。いろいろな種類の動植物を育む広葉樹林の森を、単一種類の針葉樹の森に変えてきたのです。材木として利用するためです。
・ 針葉樹の森では、いろいろな木の実がたくさんなることはありません。いろいろな種類の草木が生えることもなければ、多くの種類の小動物が生息することもありません。このようにいろいろな生き物がいて、それらを食べることができるというのが、クマのような雑食性の大型の動物が生きていくのには必要です。
・ 針葉樹にすっかり変わってしまった森には、ツキノワグマは住むことができません。それで、日本のツキノワグマは、絶滅が危惧されるほど、その数を減らしてきたのです。
<クマとヒトは、どう共存していったらいいか>
・ 毎日のようなクマの出没のニュースを聞いていると、クマの数が少なくないように思うかもしれませんが、生物の種を維持していくためには、行き来できる範囲に数千の個体数がいることが必要です。クマを絶滅させないためには、クマを守る必要があります
・ 一方、身近な人がクマのために怪我をし、命を落とすようなことを経験した人は、たとえクマが絶滅するとしても、人里に近づくようなクマは、必ず殺すべきだと考えるかもしれません。
・ クマがずっと住み続けられるような森は、きれいな水を供給し、大水害を少なくし、海に栄養素をおだやかに供給し続けます。現在、クマが人里に表れているような地域は、まだ少しは豊かな森が存在する地域です。クマと豊かな森を一緒に守るために、人里に出てきたクマを、できるだけ山に返す努力を、この秋は続ける必要があるのだと、私は考えます。
一時の点数より実力をつける試験勉強を! 2004.10.25 No.54
<試験勉強のやり方も自分でよく考えよう>
・ 今日から中間試験です。試験の度に、試験に関わることを書いてきました。今回は、必ずしも点数を上げようとしない試験勉強の仕方について、書いてみます。試験なのに、点数を上げる努力をしなくていいのかと、不思議な気がする人もいるかもしれませんね。
・ 教員が生徒の皆さんに試験を課し、皆さんが試験を受けるのには、それぞれ目的があります。その目的は、一つではなくいくつかあると思います。どの目的を重視するかによって、試験のための勉強の仕方は変わります。その目的によっては、点数を上げるためばかりでない勉強を考えてみることも意味があります。
・ 以前、英語の学力について、ある生徒と話していたときに、高校の英語の成績はずっと良い点数をとってきているのに、自分の英語の力に自信がないという話を聞きました。良く聞いてみると、英語の定期考査で良い点をとる方法はある程度分かっていて、そのように勉強してきたけれど、その方法と、英語の実力を身につける方法は違うようだということでした。
<真の実力を付けるために試験勉強を利用する>
・ 定期試験があろうがなかろうが、普段から十分に勉強すれば、特に試験のために勉強する必要がないという考え方があります。また、もっと極端に、普段しっかり勉強しないで、試験だからと言ってあわてて勉強するのは、本来の姿ではないという考え方もあります。私は、どちらも違うと思います
・ 普段の勉強のことと離れて、試験という普段とは違う勉強のための設定は、特別のものとして利用して勉強するのがいいと思います。年に数回の勉強なら、いつもより時間をかけ、集中して勉強することができるでしょう。特別なときに、テンションを上げて普段以上の力を発揮できるような癖を付けること自体が、人生の役に立つと思います。
・ ただ、その特別な期間の勉強を、点数を上げるためばかりを第一にするのではなく、点数を上げることも少しは考えながら、もっぱら自分の真の実力を付けるために利用するのがいいと思います。例え、それによって取れる点数は下がることになってしまうとしても。
<実力を付ける勉強と点数を上げる勉強の違い>
・ 試験の点数を上げるための勉強なら、試験が終わったら忘れてしまってもかまわないことになります。試験の時にだけ、なるべくたくさんのことを覚えて、答案に書けるようにすれば良い訳です。そういう勉強の仕方をしても、実際は試験の後まで覚えていることも多くて、出題される問題の質が良くて、それが自分にあっている場合は、点数を上げる勉強と、実力を付ける勉強が一致することも多いのです
・ 一方、実力を付けることを第一にした勉強は、試験が終わっても覚えていることをめざす勉強、次回の試験にも役立つ勉強、大学入試にもそのまま役立つ勉強、大学入学後も役立つ勉強だと思います。具体的には、それぞれの人が、自分で考えてみて下さい。
どこででも人の役に立つボランティア活動を! 2004.11.1 No.55
<ボランティア活動について考えてみてください>
・ 新潟の中越地震は,調査が進むにつれて甚大な被害が明らかになり,被災者の救援や復興作業が進められています。救援や復興作業では,ボランティアの人たちの活躍が連日報道されています。近隣の高校生の中にも,ボランティア活動に馳せ参じている人たちもいるとのことで,頼もしく感じます。
・ 附属高校の生徒にとっては、現地へ行くには新潟は遠いですが、遠くてもできることが何かないか、考えてみてください。考えた上で実行できそうなことがあれば、ぜひ実行してみてください。募金活動をするとか、現地の高校生に連絡をとって必要なものがあれば集めて送るとかなら、できるかもしれません。
・ また、例え実行するに至らなくても、この機会に自分はこの地震に関係したボランティア活動として何ができるかを考えるだけでも、とても意味のあることだと思います。考えておけば、もっと近くで地震が起こったときに、うまくボランティア活動ができるでしょうし、地震とは別に、今東京でできるボランティア活動に思い至ることもあるでしょう。
<基本は自主的に報酬を受けずに人の役に立つこと>
・ ボランティアというのは、「自分から進んで」、「自発的に」というのがもとの意味です。ボランティア活動というのは、自ら進んで行う、他人の役に立つための活動です。誘われたり促されて行うのもいいと思いますが、その結果自ら進んで行うことが欠かせません。
・ 進んで行う他人のための活動でも、同時に自分の経済的利益(お金を得る)のための活動は、ボランティア活動とは言いません。時には、交通費や食費を負担してもらったり、若干の報酬を得ることもありますが、基本的に、必要な費用も自分の負担です。
・また、役にたつ相手の人は、普通、困っている人たち、援助を必要としている人たちです。災害を受けた人、子供や高齢者、障害のある人たち、病人などが普通ですが、自分ができることで役にたつことがあれば、相手はどんな人たちでもいいと思います。
<身近な軽いボランティア活動から始めよう>
・ ボランティア活動を、自主的にやる、人の役に立つ活動と捉えれば、身近にいくらでもボランティア活動の機会はあると思います。家族の中で、だれかが忙しくて困っていたり、病気になったり疲れている時に、自ら進んで家事の手伝いをするのは、ボランティア活動の原点のようなものです
・ 学校でも、クラスや部活動や委員会活動で、やってもやらなくてもいいことを自ら進んでやることによって、周りの人たちの役にたつなら、それがボランティア活動の始まりになります。
・ 高校生がやりやすくて、誰に迷惑や負担をかけることなく、役に立つボランティア活動は、学校内外や通学路で、散らかっていたり汚れていたりした場所があれば、自ら進んで片づけたり掃除をしたりすることではないかと思います。
「育てたい生徒像」と「理想の生徒」 2004.11.8 No.56
<「どんな生徒が理想ですか」>
・ 高2のあるクラスの生物Iの授業を、続けて3時間担当させていただきました。生物の先生の出張が続いたためです。2時間が終わったところで、授業に関するアンケートを書いていただきました。分かったところや、分かりにくかったところを確認して、3時間目の授業に活かすためです。今年度から、全部の先生が行っている「生徒による授業評価」を、自分自身でもやってみようと思ったこともあります。
・ その授業アンケートの最後に、「授業から離れて、校長に書きたいことがあれば何でも書いてください」という項目を入れておきました。そこに、「どんな生徒が理想ですか」と書いてくれた生徒がいました。
・ どんな校長でありたいかは、だいぶ考えたことがあります。また、先生方にどんなふうであってほしいかも考えました。「理想の生徒」というのは、考えたことがなかったような気がして、はっとしました。
<「育てたい生徒像」と「理想の生徒」の違い>
・ 「育てたい生徒像」というのなら、だいぶ考えたことがあります。昨年度は、18年度から始まる中等教育学校をどんな学校にしようかと一生懸命考えていました。その一つのテーマが「育てたい生徒像」でした
・ それは、(1) 自分で考え、自分で決めて、自分から行動する生徒 (2) 新しいことに挑戦し、真理を探究する生徒 (3) 自分の得意なことを伸ばして、社会に貢献する生徒、というものです。これは、昨年11月から配布した、中等教育学校に関するパンフレットに書きました。また、校長室の黒板にも書いてあって、毎日見ています。そこには、「校長も、教員も、生徒も」という言葉が添えられています。
・今回問われた、「理想の生徒」というのは、それとは違いように感じました。もっと、毎日の生活の具体的なことでのことを聞かれたような気がしました。
<毎日、どんな生活をする生徒であってほしいか>
・ 毎日同じ時間に、自分で目覚まし時計で起きます。通学の電車の中では、本を読むか、暗記物の勉強をします。学校には始業時間の30分ぐらい前には着いて、クラス中の机の上を拭き掃除します。黒板を、これ以上きれいに出来ないぐらいきれいにします。クラスメートとあいさつし、いろいろなことを話します。その中に時々、勉強のことや人生のことも含まれます。
・ 授業では、先生の話を良く聞いて、その場で考え、その場で理解しようとします。ノートは黒板を写すのではなく、自分で考えながら、話の中で必要だと思ったことだけを書きます。先生に指名されたら、よく分からないことでも、間違ってもよいから自分で考えついたことを大きな声で答えます。授業中に分からないことがあったら自分から質問します。
・ 放課後は、毎日最終下校時間まで学校にいて、部活動、委員会活動、行事の準備をします。それらが無いときでも、友達と語り合ったり、勉強したり、読書をしたりします。そんな生徒が、私の理想です。
自分で工夫して元気になる 2004.11.15 No.57
<元気がでないときにできる工夫>
・ 附属高校の生徒を見ていると、のびのびと高校生活を送っていて、元気で明るい感じの生徒が多いのですが、時々、元気が出なくて困っている生徒のことを聞きます。普段は元気な生徒でも、落ち込んで元気が出ないこともきっとあるのだと思います。
・ 時々元気が出なくなることは、誰にでもあることで、その間、いろいろ深く考えて、人生にプラスにもなるものです。しかし、元気がない状態が長く続くと本人にはつらいものですし、生きる活力が低下して、勉強やその他の活動がうまく進まなくなりがちです。
・ 元気がでない状態を長引かせない工夫、元気がない状態を終わらせる工夫はいろいろあります。私も元気が出ない状態が1ヶ月以上続いたことが、4回ぐらいありました。16才の頃、23才の頃、28才の頃、33才の頃です。いろいろな工夫ができるようになって、元気のでない期間が長くならないようになりました。
<元気のあるときにできること>
・ 元気が出ない状態から早めに抜け出すために、元気のある時にしておくといいことがいろいろあると思います。毎日決まった時間に、朝起きることがとても重要です。起きたら、太陽の光をしっかり浴びることが良いのですが、これは高校生なら食事の後、すぐ通学があって、外へ出て、否応なしに太陽の光を浴びますので、特に心がけなくてもやっているはずです。
・ それらが重要なことは、地球の高緯度地方で冬に元気の出なくなる人がとても多いということから分かってきました。夜が長くなって、太陽の光も弱くなることがいけないのです。強力な人工照明で、朝決まった時間に起きるようにすると、元気が出てくるそうです。
・ 歩くとき、リズミカルにテンポ良く歩くことも有効です。筋肉に指令を出す脳が、テンポがしっかり刻まれて、それが、気持ちに影響するからです。
・家族や友達と多くの会話をすること、近所や学校で顔見知りの人たちとあいさつをすることも有効です。自分から能動的に行う趣味や気晴らしの活動を、普段からすることもいいと思います。楽器の演奏、絵やイラストを描くこと、1人でもできる運動や散歩、美術館巡り・庭園巡り・出かけてのスポーツ観戦等々。
<元気がなくなったときできること>
・ 私自身がしていることを書きます。忙しさやストレスで疲れている時に元気がなくなることが多いので、仕事の量を少し減らして休息を多くします。風邪などの病気の初期症状から元気が出なくなるきっかけになることも多いので、その時は思い切って休みます。
・ 早めに休息したり休んだりして、少し回復したら、普段のリズムの生活に早く戻してみます。ストレスの原因が変わらなくても、体調が快復し一息入れた後は、元気が出てくることが多いように感じます。
・ 元気が出なくなった初期の段階で、その状態やその背景を、家族や友人にどんどんしゃべっておくことも、立ち直りに有効だと思っています。
今できることに注力する 2004.11.22 No.58
<将来の目標と当面の目標>
・ 大学の推薦入試の季節で、面接を行いました。附属高校でも模擬面接を担当しました。大学院の入試でも、少し前に面接を行いましたので、全部で40人くらいの面接と模擬面接を2週間ぐらいのうちにしたことになります。将来何をしたいのか、入学したら何をしたいのかは、よくする質問です。
・ 将来したいことに関する質問では、あまりに限定的、固定的に答える人が多いのが、気になりました。将来の目標があってそれを目指してがんばろうとするのは良いのですが、実際実現するかどうかは、今後の勉強や、競争相手との関係や、社会的な状況で大きく左右されるからです。
・ 一方、入学後、何をどのように勉強したいかは、現にそこに行きたい大学があるわけですし、自分に何ができそうかは十分わかるはずです。それにしては、あいまいな答えや、パンフレットなどからのイメージだけに基づく答えが多くてがっかりすることがあります。
<将来どんな職業につきたいのか>
・ 将来の目標の中心になることは、将来どんな職業につきたいのか、その職業をどんなふうにやりたいのかということだと思います。誰でも小さい時から、「大人になったら何になりたいの」と聞かれていろいろ答えてきたはずです。高校生になると、いよいよそれを、現実的なものとして考える必要が出てきます。
・ どんな職業を目指したらいいのか分からなくて困っている人が多いのは知っています。一方、将来の目標が見つかったのはいいのだけれど、それをあまりに限定的、固定的に考えていて、心配になる人もいます。
・当面、大学を選び、大学で勉強することを決めるためには、どんな職業を目指すかを決めることは必要です。何をしたいかを、ひとまずはっきり意識してみることが有効です。しかし、勉強を進め、社会の状況を深く理解すれば、目指す職業が変わって当然というぐらいに考えておくのも、大切なような気がします。
<当面どんなことを努力したいのか>
・ 将来の職業に比べると、現在何をするか、大学に入学したら何をするかは、自分ができる範囲でよく調べたりよく考えたりすれば、かなり確実に決められると思います。それをしっかり決めてきちんと把握し、ことばでも他人に伝えられるといいと思います。
・ 好きな勉強や、好きな活動を、あまり考えすぎずに力いっぱいやることが一つの方法です。将来それが何に繋がるかが、はっきりは分からなくても、誰にも負けないぐらい力いっぱいできれば、自分のやりたい職業に繋がっていくことが多いと思います。
・ 自分がやりたいことを力いっぱいやっても、なかなか誰にも負けないようなレベルには達していないように感じたときは、やることを考えなおした方がいいかもしれません。ご両親や先生が勧めてくださることなら、誰にも負けないレベルにまでは達しなくても、しっかり努力すれば、道は開けていくと思います。
親との良い関係をどうつくるか 2004.11.29 No.59
<親を恨んだ悲しい事件>
・ 先週、10代と20代の子が、自宅で両親を殺害するという事件が、続けて2件、報道されました。一方は姉も殺害し、もう一方は祖父も殺害するつもりであったと報道されました。どちらの場合も、高校卒業後、進学や就職をうまくできないまま、自宅で過ごすようになってしまったという共通点がありました。
・ また、どちらも、仕事か勉強をするように親から強く言われていたという共通点もあるようです。父親が、教員や公務員という、一般的に堅いとされる職業であることも、共通点かもしれません。いずれにしても、大変いたましい事件で、そこまで追い込まれてしまった本人と家族のことを思うと、大変悲しくなります。
・ 子が両親を殺害するという結果が重大すぎて、自分とはまったく関係ない、特殊な別の世界のことと思われるかもしれません。しかし、私には、現在の10代、20代の若者のおかれた一般的な状況や、家族との関係を反映しているように思えます。
<思春期の若者が親とぶつかるのは当たり前のこと>
・ ヒトという動物は、親が子を長い間育てるという仕組みとともに進化してきました。乳児の間は親とべったりで完全な保護下にあり、その後だんだんと群の中の同年代グループと親の間を行き来する時期となり、やがて性的に成熟する思春期後になると親から完全に独立するというのが、石器時代まではあたりまえのことだったのだと思います。
・ 子が独立する時期というのは、自然と子が親に逆らう気持ちや行動が出て、独立を助けるということがあると言われています。親にしても、子が逆らうことで、子を保護する気持ちが消えていき、自然と子離れできるのではないでしょうか。
・ですから、思春期の若者が親とぶつかるのは当然のことです。しかし、文明が進歩して社会に出るまでに身につけることがどんどん多くなって来ると、社会に出て独立できる時期と、親に逆らう気持ちや子を突き放す気持ちが出てくる時期に、ずれが生じてしまったような気がします。まだ独立する状況でないのに、親に逆らったり子を突き放す気持ちが出てくるのです。
<親との関係を悪くさせすぎない工夫>
・ 親に逆らったり親から突き放されることが、避けられないこと、場合によっては必要なことだとしたら、現代の状況で、子や親は、どうしたらいいのでしょうか。残念な状況や楽しくない状況を長引かせて深刻なまでの状況にしないためには、子も親も工夫する必要があると思います。
・ 相手の言うことを良く聞いてみること、感情的になったときは反論をがまんしてみることはできるでしょうか。相手の気持ちやその理由を想像してみることができれば、かなりプラスになると思います。食事や、買い物や、テレビを見たりする場を共有すること、あいさつやたわいもないおしゃべりをすること、不愉快な顔を相手に見せないことは難しすぎますか?
電車の中でのちょっとした配慮 2004.12.6 No.60
<電車の中でのマナー>
・ 毎日、電車で通勤していると、マナーの悪さが気になってイライラすることが時々あります。混んだ電車はそれ自体が不快なものですが、お互いに気を遣って、少しでも気持ちよく利用したいものです。若い生徒の皆さんとは、きっと感覚が違うと思いますが、私が気になることを書いてみます。
・ イヤホンで音楽を聴いている人の音漏れは、私はとても気になってしまうのです。数年前まで、電車の中でのイヤホンからの音漏れを注意したことで、傷害事件が何件か発生しました。その後、イヤホンが改良されたり、注意喚起されるようになって、ずいぶん良くなりましたが、それでも時々気になります。本人が気が付いていないのではないかと注意したくもなります。
・ 携帯電話は、優先席以外ではメールをしても良いことになって、気になることが少なくなりました。仕事の電話を時々大きな声でしているのは、もう若くない人がほとんどです。
<自分が少し我慢するということ>
・ 混んでいる時の背中のバッグも、気になります。私自身も、バッグは背中にも背負える形のもので、すいているときは背負ったまま電車に乗りますが、少し混んでいるときは手に持ちます。若い人は、混んでいても背負ったままの人も多く、周囲に迷惑です。
・ 混んでいるドアの付近を動かずに、乗り降りのじゃまになっている若い人も時々見かけます。これは、私も自分の中高時代を思い出すと恥ずかしいのですが、そうしていました。自分の降りる駅で、ドアの近くにいると先に降りて人混みの前を歩いていけるからです。今では、自分勝手な行動だったと反省しています。
・降りる人が全部終わらないうちに、乗ろうとする人にもイライラさせられます。少ない座席に座ろうとして先に乗り込むのは自分勝手なことでただがまんしてほしいのですが、終点で席が十分あっても待てない人がいるのは自分の利益と関係なく周囲への配慮ができないだけということなのかも知れません。
<周囲への配慮ができると幸せに通じる>
・ 混んだ電車というのは、お互い知らない人達がしばらく一緒にいなければならない場所で、ここでちょっとした配慮ができるようになると、その他の場面でも配慮ができるようになることに役立つと思います。
・ まだすいている座席を、どのように座っていくと後から来る人が座りやすいかを考えて、私は座るようにしています。7人がけの座席を必ず7人がけさせようというような場所に座って、先に来た気の弱い人が狭めのスペースに座れずに、後から来た厚かましい人が座れるようなことは、私はしたくはありません。
・ 立っていても、他の人が乗り降りしやすい場所や動きがあるので、それをするようにしています。とは言っても、そんなことばかりをいつも考えている訳ではなくて、あまり考えずに自然にそういうことができるようになったことを、幸せに思っています。