健康のために証明されていなくてもできること 2004.2.23 No.31

<噛む力と視力>
・ 雑誌の記事で、噛む力と視力に関係があるという説が紹介されていました。私は、その説をこれまで知らなかったのですが、自分が子供の頃の40年前に比べて、最近は子供の視力がだいぶ悪くなってきていることは知っていました。
・ 昔から暗いところや悪い姿勢で本を読んだり勉強したりすると視力が悪くなるとか言われていました。しかし、最近の子供たちの照明や勉強机に関する環境は昔より良くなっていますし、本を読む時間や勉強をする時間はかえって減っていると思います。
・ それからテレビを近くで長い時間見ることがいけないという考えを聞いたこともありました。これもテレビと同じぐらいちらついていた10年以上前の初期のパソコンの画面を近くで何時間も見続けた自分自身の経験から、目の疲れには関係しても視力そのものにはそれほど関係しないという感触を得ていました。
・今回、噛む力と視力に関係があるという説を知って、自分なりに納得がいきました。確かに、昔に比べて普段の食事やおやつに食べる物が、格段にやわらかくなっているという実感がある上に、固いものをしっかり噛むときには、顔中の筋肉が動いている感じもわかるからです。

<なぜ良く噛まないと視力が悪くなるか>
・ 噛む力と視力の関係についての説が、どの程度一般に知られているのか、その因果関係がどの程度明らかなのかを知りたくて、インターネットで、「噛む力」と「視力」を入力して、検索してみました。数十ページがヒットして、すでに多くの人たちによって紹介されている説であることがわかりました。一方、はっきり証明されたような説ではないこともわかりました
・ 固い食べ物をしっかり噛むと、口や顎のまわりの筋肉ばかりでなく、目のまわりの筋肉も盛んに使われます。額の両脇に手を当てて良く噛んでみるとわかると思います。目の水晶体の調節や、眼球の保持にも筋肉が関係していますので、それらの筋肉を噛むことによって良く動かすことが、良い視力を保持するために必要だという考えのようです。

<証明されていなくてもできること>
・ 「噛む力」と「視力」に関係があるという説が、まだ正しいかどうかわからないとしても、その説に従って自分の行動を変えるのはとても意味のあることだと思います。第1に、その説は十分説得力がある説であること、第2に、その説を取り入れて多くの固い食物を良く噛んで食べるようにしても悪いことがほとんどないばかりでなく、歯を丈夫にしたり唾液が多く出て消化がよくなったり別の良いこともあるからです
・雑誌の記事は、離乳食に特に軟らかいものを与えるべきでないということで締めくくられていました。高校生にもまだ効果があると思いここに紹介したのですが、インターネットで調べた結果は、私が困っている老眼の進行防止にも効果があるだろうとのことでした。

都合のよい解釈を避けるべき時 2004.3.1 No.32

<鳥インフルエンザの通報>
・ 国内で3例目の鳥インフルエンザの発生が、京都府で報告されたというニュースが連日新聞等で報道されています。山口県と大分県で発生したこれまでの2回が、早く通報されてすぐ対処されたのに対し、今回の京都府での発生の発見は、とても異常でした。
・ 夜の匿名の電話の情報提供を受けて、府の担当者が夜を徹して調べ、朝には簡易測定で鳥インフルエンザの可能性が高いことがはっきりしました。異常だったのは、その時点ですでに毎日1000羽異常のニワトリが死亡するようになってから、1週間がすぎていたことです。また、その間に、たくさんの生きたニワトリが食肉用に出荷されていたことです。
・鳥インフルエンザは、この冬、アジアのあちこちで猛威を振るい、ニワトリからヒトに感染して何人もの死者を出しています。さらに、すでに日本で鳥インフルエンザが2カ所で発見され大きく報道されていました。ですから、養鶏業者ならニワトリの大量死があったら鳥インフルエンザを疑うのは当然のことです。

<自分の都合の良いように解釈する弱さ>
・ ここからは、私の推測です。事実がどうであったかは、これから調査されて報道されていくと思います。すでに新聞には、関係者の証言などが報道され始めています。ここでは、最初のニュースを聞いたときに、私が感じたことを書いてみます。
・ 養鶏業者は、1日1000羽を越えるニワトリが死に始めたとき、きっと鳥インフルエンザではないかと疑ったのではないかと思います。しかし、鳥インフルエンザかもしれないということを通報して調査が始まると、ニワトリの出荷をすぐ自粛しなければならず、業者には大きな打撃です。
・ 鶏舎はいくつかのグループに分かれていて、ニワトリが死に始めたのは、そのうちの1つのグループの鶏舎だけだったようです。それで他の鶏舎は、まだ感染していないと、自分の都合の良いように考えて、感染していないと勝手に判断したニワトリを大量に出荷してしまったのではないかと思います。

<こぼれたミルク>
・ 出荷したニワトリは、都合の良い期待に反して、すでに鳥インフルエンザに感染していました。購入先で、感染が拡大し、購入業者やその周辺では、養鶏業者の行為で大変な迷惑を被っているわけです。この先、鳥インフルエンザが拡大する危険性さえあります。
・ 20万羽ものニワトリを飼育しているこの養鶏業者は、経済的打撃のことが頭に浮かんで、適切な判断ができなかったのだと思います。1日1000万羽が死亡した時点で、取り返しのつかないことは起こってしまったのだときちんと認識する必要があったわけです。
・「こぼれたミルクはもうコップにもどらない」という教訓があります。都合の良い解釈をせず、受け入れがたいことでも起こってしまったことはすぐ認めて行動しないと被害が拡大するという例だったと思います。

卒業式式辞:創造性・やさしさ・笑顔 2004.3.5 No.33

<高校卒業の意味>
 今、この日本の社会で、高校を卒業するということは、どういう意味を持つことなのでしょうか。私は、高校の卒業証書というのは、一人前の人間としての、一人前のおとなとしての、免許のようなものではないかと思います。この複雑な社会では、まだまだ勉強や経験が必要ですが、もう1人で進んでいってみても大丈夫だよ、という区切りであるような気がします。
 あなた方が生まれてからの18年余りをふり返ってみて下さい。最初は何もできなくて全部、ご家族の方に世話をしてもらっていたのが、やがて、身の回りのことが自分でできるようになります。一方的に話しかけられたり、ただ見ているだけだったのが、やがて、自分の方から話しかけたり、好奇心を持つようになることによって、いろいろなことがどんどん身に付いてきます。そして、小学校に入学してからは、人類社会が蓄積してきた、さまざまな知恵や生きていくための方法を、学校という場で、標準化された方法で、系統立てて学んできたのです。そして今、高校を卒業するということで、そのように標準化された勉強を、やり終えたということができると思います。
 これから皆さんが、大学で、あるいは専門学校や職場で、学んでいくことは、それぞれの人によって大きく異なります。例えば、大学では、何をどう教えるかは、それぞれの大学が決めています。また、それぞれの授業で、何をどう教えるかも、担当の教員に任されています。これまでの12年間の学校生活では、みんなが似たようなことを勉強してきたわけですが、これからはひとりひとり、違った勉強をし、違った人生を歩んでいくことになります。その人生を決めていくのは、あなた方自身です。
 この都立大学附属高校では、「自由と自治」ということを大切にしてきました。この「自由と自治」には、いろいろな捉え方があると思いますが、本校で考えている「自由と自治」の重要な部分は、「自分で考え、自分で決めて、自分から行動する」、「自分たちで考え、自分たちで決めて、自分たちから行動する」ということではないかと、私は考えています。
 本校で、このような「自由と自治」に基づく行動パターンを練習できた人は、これからの人生を歩んでいく準備がしっかりできているのではないかと思います。またうまく練習できなかった人もいると思いますが、本校に在学したことによって「自由と自治」について話を聞いたり考えたりしてきたことがあるはずです。それだけでも、きっとこれからの人生の役に立つと思います。この都立大学附属高等学校を卒業したのですから、安心して、自信を持って、自分の力を信じて、人生を切り開いていってください。

<クリエイティブに人生を歩もう>
 先日、みなさんに贈る言葉を、父母会だよりに書きました。「クリエイディブに人生を歩もう」というタイトルです。日本語にすると「創造的に人生を歩もう」ということですが、クリエイティブとか、創造的とかいうのは、今までになかった新しいもの、新しい考えを創り出すということです。
 私は、大学で生物学を研究しています。研究者というのは、クリエイティブでなければなりません。誰かがもう知っていることをうまくまとめて本に書いたり、話して広めたりしても、それは研究しているということにはなりません。だれもまだ知らないことを明らかにしたり、だれも考えつかなかったことを新たに考えて発表したりすることが研究をしているということです。それによって人類全体の知識が増え、その知識を使うことによって、物質的に、また精神的に私たちは豊かになっていきます。
 芸術家もクリエイティブな仕事です。画家が過去の絵画と同じような絵を描いても、芸術とは認められませんし、作曲家が過去の曲のいいところを単に組み合わせて結構いい曲を作っても、まったく評価されません。演奏家にしても同じです。今までの演奏家や歌手のだれかとよく似ていて、とてもうまいというだけでは、足りないのです。それがクリエイティブとか創造的であるということではないかと思います。
 みなさんは、研究者や芸術家になる人ばかりではありません。クリエイティブな生き方はしないと思っている人もいるかもしれません。しかし、時代はすでに変わりました。物や情報が、特定の地域、特定の国の中でのみ流通していた時代は、その地域や国の中でだけ新しければ、とても意味のあることでしたが、現在では、世界中どこへでも必要な物が自由に動きます。情報にいたっては、インターネットを通して世界中どこへでも、瞬時に届くようになりました。電話までインターネットを通して、地球の裏側へもほとんど費用がかからずに伝わるようになりつつあります。このような変化がおこったのは、あなた方が高校に在学したこの3年間の間だったといってもいいと思います。
 このように物や情報が世界中を簡単に移動できるようになると、どういうことが起こるでしょうか。クリエイティブということとの関係で考えてみますと、一つの町や、都市や、国で新しかったり特徴があったりしても十分ではなくて、世界中を相手にして、新しかったり特徴があったりしなければならないということです。そのことが、まさに今までどこにもなかったという意味で、クリエイティブ、創造的であるということです。
 人々が必要とするものは、それほど新しい物や情報ばかりではないと思う人もいるでしょう。それは確かにそうです。ですが、どこにでもあるような物や情報をつくることには、これからは高い評価が与えられなくなっていくと思います。そのような物や情報は、外国で安く作られた物が、輸入されてきます。
 人生を生きていくためには、職業を持ち、収入を得て、生活していくことが重要です。クリエイティブなことは趣味として、職業はありふれたことを今までどおりの方法でやることでもいいと考えている人もいるかもしれませんが
 それではきっと、満足できる生活にはならないと思います。皆さんには、ぜひ、新しい物や、考えや、やり方を、自分自身で新たに創り出していくような生き方をしていってほしいと思います。

<他人と違うことをやろう>
 では、クリエイティブに生きることができるようになるには、どうしたらよいでしょうか。まずは、他人と違うこと、今までの自分と違うことをするようにこころがけるといいと思います。これならば、だれにでも、比較的簡単にできるでしょう。それでも、違うことをやろうと思ったら、教わったことをそのままやったり、他人のまねをしたりでは十分ではなく、自分で考えてやらなくてはなりません。この、今までと違うように自分で考えるということが、クリエイティブであることに繋がっていきます
 他人と違うこと、今までの自分と違うことをする、というのにも難しさがあります。人間は集団を形成して生きる動物です。人間に進化する以前の、チンパンジーのような霊長類の時でも、すでに集団を形成して生きる動物でした。集団の中でうまく生きるためには、その集団の他のメンバーと同じようにするということも、とても大切です。ですから、ヒトの遺伝子には、他人に合わせて同じようにするということが、深く刻まれています。
 一方、昔から、新しい環境、新しい状況に対応するためには、他人と違うこと、今までとは違うことをやってみることが必要でした。そのため、他人と違うことをする傾向を作りだす遺伝子も、みんなが持っています。それでも、違うことをする傾向はあまり強くないので、多くの人は注意しないと、つい他人と同じことばかりをしがちです。現代社会では、次々に新しい環境、新しい状況が生まれています。このような社会では、他人と違うこと、今までと違うことを、どんどんやっていかなければなりません。
 他人と違うこと、今までと違うことをやろうとすると、必ず経験することがあります。それは、失敗するということです。他人と同じこと、今までと同じことは、そのとおりにやれば、きっとうまくいくでしょう。反対に、違うことをやれば、失敗は付き物です。失敗を恐れないこと、失敗にめげないことが、他人と違うこと、今までと違うことをやっていくために、一番必要なことかもしれません。
 失敗には、積極的な意味もあります。失敗をすると、がっかりしたり、やる気がなくなったりするものですが、失敗の理由を考え、次の行動に繋げていくことができれば、経験が増え、自分の力になっていきます。失敗した後の考え方次第では、失敗は喜ぶべきことだということができます。他人と違うこと、今までとちがうことをたくさんやって、その結果たくさん失敗することで経験を積んでください。そうすることでクリエイティブな仕事ができるようになり、社会の役に立ち、満足できる収入も得て、幸せになってほしいと思っています。

<卒業生との思い出>
 私は、1年前の4月に校長として着任しました。皆さんとは1年間、この高校で一緒にすごしたことになります。みなさんの卒業にあたって、この1年間の経験から、2つほどお話したいと思います
 一つは校長室での朝の会のことです。昨年の4月に大学から校長に着任して、生徒の皆さんに定期的に話をしたいと思いました。それで、毎週月曜日の朝、10分間、校長室で「朝の会」と称して、集まってくれた皆さんに話をすることにしました。全校生徒に呼びかけたのですが、集まってくださったのは、最高でも10人で、たいてい3人から5人でした。それでもずっと続けてこられたのは、今日の卒業生の中にいる3人の方が、ほとんど毎回来てくださったからです。この3人の方が来てくれたことに、わたしはとても励まされました。本校の生徒の様子も、この3人の方を窓口にして、わかったところもいろいろありました。この3人の方に毎週元気をもらうことがなかったら、校長であることに自信をなくしていたような気がします。この場を借りて、お礼を述べたいと思います。
 もう一つは、野球部の活躍のことです。ご存じのように、昨年夏の東東京大会では、ベスト16まで勝ち進みました。ここにいる卒業生の中からも、9人が参加していました。私も3試合応援に行きましたが、たくさんの部員がいる強豪校に勝っていく試合の進め方は、みごとで感心しました。ミスしたりピンチになっても、自分たちのペースで実力を出し切るプレーをしているのです。ミスをしたりピンチになるとあわててしまい、被害が大きくなるのはよくあることです。でも、昨年夏の野球部にはそういうことがみられませんでした。
 顧問の望月先生に、どのように指導するとミスした後やピンチでもあれほど、のびのびとプレーできるのか、何度かお尋ねしました。先日やっと、その答えを教えていただきました。それは、大会が近くなったら、「試合中に苦しくなったときは笑え」「相手のベンチの方を見て笑え」と指導されるということでした。私は、これで納得しました。笑うことで、萎縮したり緊張したりしないで、リラックスして自分たちの力を出すことができます。相手は、逆に、なぜ苦しいのに笑っているのかと、不安になるはずだと思います。
 この「苦しいときは笑え」という望月先生の教えを、私もこれから使っていきたいと思っています。皆さんも、これからの人生で、苦しいことがたくさんあると思います。いつも笑うことが使えるわけではないでしょうが、この「苦しいときは笑え」という教えは、きっと役に立つことがあると思います。

<おわりに>
 都立大学附属高等学校は、2年後の平成18年度から、6年制の中等教育学校に改編されていきます。学校は変わりますが、この場所で、74年前の府立高等学校から続いている伝統は、引き継がれ、さらに発展していきます。この校旗、校章、先ほど歌った校歌は、府立高等学校からのものですし、校庭のケヤキ、イチョウ、プラタナスなどの何本もの大木も、府立高校時代からのものです。学校が変わっても、皆さんが3年間勉強したこの学校は、ここに残ります。校庭の木々も、ほとんど残ります。校舎のA棟と、B棟の半分、体育館も、今後何十年か、いまのままであるはずです。
 これからの人生で苦しいことがあったら、ぜひこの場所に足を運んでください。また、楽しいことがあって、高校時代の友人たちと話したい時にも、この場所で会ってみてください。
 青春時代の3年間、都立大学附属高校で学んだことは、あなた方の人生の力となるはずです。自信を持って、思いっきり人生を歩んで行ってください。ご健闘を祈っています。

小さな配慮で幸せを届ける 2004.3.14 No.34

<先人の配慮>
・ 都立大学駅から附属高校へ向かって坂を登ってきて、目黒区民キャンパスにさしかかった角を左へ曲がって、仮説校舎の正門へ向かいます。お天気がいいと、ちょうどその正面に富士山が見えます。この季節は、真っ白な富士山です。
・ 正門に向かう道の、あまりにもまっすぐ正面に見えるので、これはわざとその方向に道が作られているのだと、ふと気がつきました。校舎も道に平行に建っているので、仮説校舎の2階、3階のろうかからまっすぐの方向の富士山を見た人も多いと思います。
・今の附属高校と区民キャンパスの敷地は、府立高校が府立一中(現在の日比谷高校)の一角から八雲の地に移ってきたときに整備されました。今の東急のもとを作った五島慶太が、地主から供出のようにさせて、誘致したと聞いています。その時、長方形に土地を整備し、その担当者が、富士山の方向に合わせて設計したのだと思います。

<先人の配慮に気がつくということ>
・ 私が初めてこのキャンパスから富士山を見たのは、33年前の入学試験の日でした。3月3日か4日だったと思いますが、今のパーシモンホールの南側のイチョウ並木のところに、やはりイチョウ並木があって、そのイチョウ並木の間の正面に富士山が見えました。
・ その後、都立大学に入学し、2年間はこのキャンパスに通いました。その間、何十回と富士山を正面に見たはずですが、それが、先人の設計によるということに考えが及ぶことはありませんでした。附属高校の校長に着任してからの1年間にも、何回も富士山を見てきましたが、そういうことには気が付きませんでした。
・ 今回そのことに気が付いたのは、新校舎の設計のことについて考えているからだと思います。私が着任する前に、新校舎とその周囲の設計はほとんど済んでしまっていたのですが、少しでもこれからずっと使いやすい校舎、キャンパスになるように、修正してもらえるところはないかと考えているので、先人の配慮にも気が付いたのだと思います。

<小さなことでもできるだけの配慮をしたい>
・ 重要なことについては、だれでも一生懸命考えて、いいものを作ろうとします。その時、細かいことにも、考えが及んで工夫を加えておくと、そのおかげで後々の人たちが、ちょっとした便利をしたり、ちょっとした幸せな気持ちになれるのではないかと思います。
・ キャンパスや校舎の並びのちょうど正面に富士山が見えるなどというのは、このちょっとした工夫の一つだったような気がします。そこを設計した人が、その事に気が付かなければ、5°か10°の角度がずれて正面には見えなかったのだと思います。
・小さな配慮をすることは、そのくせがつけば、それほど労力を要せずにできると思います。先人の細かい配慮に気付く感性を大事にし、自分もそうしたいと思うことでできるようになるでしょう。

校長だよりを毎週書くことで得られたこと 2004.3.22 No.35

<校長だよりの1年>
・昨年の4月に附属高校の校長に着任して、校長だよりを発行し始めてから1年が過ぎました。35号まで来ましたので、授業のある週は毎過一回の発行をだいたい守れました。
・校長に着任して、はりきっていろいろなことをしようとしました。その一つがこの校長だよりを発行し、その内容を校長室朝の会で生徒に話し、ホームページで公開することでした。1つ準備することで、3つのことに使って一石三鳥を狙ったわけです。せっかく時間を使うのだから、複数のことに使えれば能率がいいと思ったのと、3つのことのために準備することにすれば、続けやすいのではないかと思ったからです。
・始めたときはあまり気負わずに、途中でやめることになってもいいと考えていたのですが、続けてこられたのは、校長室朝の会に来てくれた生徒の皆さん、ホームページの校長だよりを読んで励ましのメールを送っていただいた皆さん、そして日曜日夜の2時間と少しを校長だよりを書くために使わせてくれた家族の協力のおかげです。

<校長だより準備の裏話>
・ホームページで読んでくださっている方には、印刷で発行している校長だよりの体裁はイメージしにくいと思いますが、A4版片面2段組で、左側が毎回のテーマについて3つのセクションに分けて書いてあります。この部分がおよそ1200字です。右側が連載している3つのシリーズで、それも全部で約1200字です
・日曜日の夜9時頃になると、パソコンの前に座って校長だよりを書き始めます。だいたいそれまでにテーマを決めてあるのですが、たまにテーマが決まっていないと、それからテーマを考えるのにちょっと苦しみます。11時半頃までには書き終えて、ホームページに掲載する形式にも直し、大学のサーパーにある校長のページを更新します。
・翌朝、いつものように7時半に校長室に入ると、校長だよりを50部印刷します。10部ほど、校長室の前の掲示板にマグネットクリップでとめて、誰でも特っていけるようにし、少なくなったら補います。8時8分になったら朝の会をご案内する放送をして、来てくれた生徒さんに校長だよりを渡し、話しをします。

<書き続けるための工夫>
・英語の研究論文を書き、授業で生物学の話しをするのにはかなり慣れていましたが、高校生や一般の人に向けて文章を書くなどということは、ほとんど経験がありませんでした。それでいくつか工夫をしました。
・箇条書きで小さな部分に分けて書くこと、それを3つぐらいでひとまとまりにして表題をつけることで、慣れていなくてもなんとか筆が進みました。半分をシリーズものにすることで、書きやすくしました。
・1年間、毎週続けられたことで、このような文章を書くのが前ほどは苦にならなくなりました。おつきあいいただき、どうもありがとうございました。

入学式式辞:楽しくて積極的な高校生活を! 2004.4.7 No.36

<はじめに>
 162名の新入生の皆さん、この都立大学附属高等学校への入学おめでとうございます。また、この学校を選んでくれてどうもありがとう。これから3年間、勉強にも、部活動にも、いろいろな行事にも、精一杯取り組んで、充実した高校生活を送ってほしいと思っています。ここにご臨席いただいた、保護者の方々、来賓の方々、それから私たち教職員も、皆さんの入学を共に喜び、皆さんの充実した高校生活を願っています。
 皆さんは、希望がかなって本校に入学したわけですが、残念ながら本校入学を希望しながら、合格できなかった人、受験できなかった人たちもたくさんいます。皆さんには、入学できなかった人たちのことも考え、本校で過ごす時間を有意義なものとしていただければと思います。
 世界に目を向けると、皆さんと同じ年齢で、学校で勉強したくてもできない人たちがたくさんいます。今年15才の人が、世界に何人ぐらいいるか、知っていますか。インターネットの国連のページで調べたら、約62億人の世界の総人口の内、約1億2千万人が15才だそうです。ここにいる皆さんの75万倍の人たちです。世界の人々は207の国に分かれて生活しているわけですが、そのうち66ヶ国の子供達は中学校でさえ半分以下しか行っていません。39ヶ国ではそれが調べられてもいません。207の国の内、44の国でだけ80%以上の子供達が中学に行っています。これを調べた資料は国連の教育、科学、文化に関する機関であるユネスコの最新の統計資料ですが、その資料で中学校へ行っている子供の割合が100%という数字になっているのは、207ヶ国のうちただ1ヶ国、日本だけです。皆さんは、今、そういう国にいて、高校生になったのです。世界の多くの子供達は、行きたくても高校へ行けないのが現実です。そんなことも、今ここで、少し考えてみていただけたらと思います。

<毎日を楽しく生きてほしい>
 さて、この入学式で皆さんにどんな言葉を贈ろうかと、1ヶ月ぐらい前から考えていました。昨年の入学式では、「幸せになってほしい」というメッセージをお伝えしました。今年は、「毎日を楽しく生きてほしい」というメッセージを贈りたいと思います。
「毎日を楽しく生きてほしい」という私の言葉を聞いて、「えっ、楽しいだけでいいの?」と思った人も、この中にはいるかもしれません。私は、楽しいだけでいいのではないかと、考えてみました。ただし、今楽しいだけではなくて、これから先もずっと、できるだけ楽しいように生きていってほしいのです。また、自分だけが楽しいのではなくて、自分の周りの人たちや、そのまた周りの人たちも、できるだけ楽しいように生きていってほしいと思います。
 今だけ楽しければいいということと、これから先もずっと楽しくということは、ずいぶん違います。皆さんのうちの、多くの人は大学へ進まれると思いますが、行きたい大学が見つかってその大学に合格できれば、楽しい大学生活が送れる可能性が高まります。大学卒業後、または大学院修了後、多くの人は就職して仕事をしていくわけですが、その時に必要な、企画力とか、実行力とか、調整力とかが十分身に付いていなければ、楽しく仕事をしていくことができません。また、結婚して家庭を持つときに楽しい生活を送るためには、結婚相手を見つけ、家庭で次々に起こる問題を解決するためのコミュニケーション能力や、相手を尊重したり、自分ががまんする力も必要です。
 つまり、皆さんのこれからの人生を、できるだけ楽しくしようと思ったら、高校生のうちに、将来の人生を楽しく豊かにするために必要なことを、身につけて行く必要があるのです。とはいっても、将来のために高校時代は我慢やじっと努力をするというのではなく、高校生活自身を十分楽しみながら、将来の楽しみにも繋がることをどんどんやっていってほしいと思います。
それから、自分だけ楽しいというのと、みんなと一緒に楽しいというのも、ずいぶん違います。スポーツの試合や入学試験などではっきりしているように、みんなが優勝したり、みんなが合格したりすることは、ありません。勝者と敗者がいて、合格する人と不合格の人がいます。勝てば楽しいし、合格すれば楽しい世界が広がります。自分以外は、だれでも競争相手と言うこともできるので、自分が楽しいためには、自分以外の人たちが楽しくない方がいいと思ってしまうことがあるかもしれません。しかし、例え勝利者は一部の人たちであっても、きちんとしたルールの下で、最大限の努力をして競争し、勝敗を明らかにすることは、とても重要なことです。そのプロセス自体を楽しいものにすることができますし、そのプロセスを通じて競争相手ともお互いを高め合うことができます。ですから、自分だけが楽しくなろうなどと思わずに、例え競争相手とでも、一緒に楽しくなれるように考えてみてほしいと思います。

<自由と自治について>
 次に、本校で大切にしている「自由と自治」についてお話しします。本校では、生徒が、自分で考え、自分で決めて、自分から行動するということを、重視しています。「自由と自治」のためには、この、自分で決めて、自分から行動するというのが、とても大切だと、私は考えています。
 皆さんは、今まで、どれくらいのことを自分で決めて、どのくらいのことについて自分から行動してきたでしょうか。多い人も、少ない人もいると思います。能率良く勉強したり、部活動をしたり、クラスの運営をしたりするためには、ご両親の言うとおりに行動したり、先生の言うとおりに行動したりする方が、早道のこともあります。しかし、そのようなやり方でいつまでもやっていけるわけではありません。自分のことを自分で決めて、自分から行動して、自分で責任をとるのでなければ、独立した人間とは言えないでしょう。皆さんは、もう、そのような独立した人間であっていい段階に達しています。
 皆さんが自分の行動を自分で決めて行くために、私からの助言を少しお話しします。本校には校則はほとんどありませんが、最低限の校内のきまりは、生徒手帳に書いてあります。これは、ここに書いていないことで、法律に触れないことなら、本校では何をやってもいいということではありません。何をしてはいけないと、細かく書かなくても、あなた方が自分で判断して、本校の生徒としてするべきではないことはしないことが期待されています。時には、皆さんがうまく判断できなくて、するべきではないことをしてしまうことがあるかもしれません。たとえそういうことがあっても、ご両親や、先生方や、友人たちが、意見してくれたり助言してくれたりして、それを聞いて、あなた方が自分で直してくれることを本校の先生方は期待しているのです。
 勉強でも、部活動などでも、先生は、助言や指示をいろいろしてくださると思います。助言や指示を受けたら、ただそのとおりやるのではなくて、自分で考えて納得したことをやってほしいと思います。もし納得できなかったら、なぜそうした方がいいのかを、よく質問して理解しようとしてください。それでも納得できなかったら、他の先生にも聞いてみてください。もし、3人の先生が同じ意見だったら、自分が納得できないことでも、言われたように行動することを、私は勧めたいと思います。
 自分で行動を決めるときにもうひとつ大切なことは、周りの人たちに迷惑をかけないこと、周りの人たちに不愉快な思いをさせないことです。皆さんにとって周りの人たちというのは、まず家族、次に学校の同級生や先輩達、先生方、そして通学途中で居合わせる人たちだと思います。このような人たちに迷惑をかけたり不愉快な思いをさせない範囲で、ぜひ、せいいっぱい自由な高校生活を送ってほしいと思います。とはいっても、あまりに周りの人たちのことを気にしすぎたり、合わせすぎようとしたりすると、自分らしさがなくなってしまいます。自己主張は、どんどんした上で、進みながら自分で修正していくのがいいと思います。

<将来の進路について>
 皆さんの将来の進路について少しお話しします。現代社会は大変複雑で、常に発展していますから、皆さんが将来つくことになる職業の多くは高度な能力が必要で、大学でしっかり勉強することが要求されるでしょう。将来の夢を実現するためには、希望する大学へ入学することがかなり重要です。しかし、自分の力を十分伸ばせるような大学は、多くの人が入学したいことが多いので、入学試験に合格するのがとても大変です。そのため、高校生活を、大学入学試験で良い成績を取ることを第一にすごす人たちもいます。私は、都立大学の教授として、そのように試験勉強中心の高校生活を送って大学に入学してきた学生をたくさん見てきました。そういう学生の多くは、大学へ入学してから自分で学問を身につけていくことができなくて、伸び悩んでいます。いつまでも、テストの問題に答えるような正解を追い求めて、自分で新しいものを創り出すような力がついてこないのです
 都立大学附属高校に入学した皆さんには、単に受験や試験のための勉強をするのではなく、それぞれの教科・科目で扱われる内容の本質をしっかり理解し、自分から問題や課題を見つけ、それについて自分で考えるようになってほしいと思います。そういう勉強の仕方が少しでも身に付けば、大学へ入学した後や、社会に出てから、新しいものを創り出したり、問題を解決したりする力がついていき、人々の役に立って、楽しい人生を送ることができると思います。
 とはいっても受験もクリアーする必要があります。高校1,2年生のうちは、基礎的な学力を付けることに努力してください。授業を大切にして、授業を最大限活用することを勧めます。そのためには、少しの予習をすることが効果的です。また、授業で習ったことを、当日、1週間後、それから1ヶ月後の3回復習することも、しっかり記憶に留めるのに効果的です。ヒトの脳の仕組みや記憶の仕組みは、生命科学の進歩で大分わかってきていますが、そのように期間をだんだん長くしながら繰り返し同じことを勉強することが記憶を定着させるために有効であることがわかってきています。
 もう一つ、将来への実力を養成するためにも、大学受験で希望をかなえるためにも、特に必要な力があります。それは集中力です。集中力がある人とない人では、同じ時間勉強しても効果が何倍も違いますし、同じように課題に取り組んでも課題を解決できるかどうかに大きな違いがでます。勉強をする中で集中力を鍛えるための工夫をするのは、かなり難しいことかもしれません。それよりも、みんなで期限のある目標に向かってとりくむ、部活動や行事に一生懸命関わる中で、集中力が養われることが多いのではないかと思います。そのためにも、ぜひ、すべての皆さんが、部活動や行事の運営係などに積極的に取り組んでほしいと思います。

<おわりに>
 本校は、皆さん方が3年生になる平成18年度から、中等教育学校に改編されます。この4月1日から、開設準備室が設置され、石坂校長先生と3人の先生方が着任されました。皆さんが3年生の時には、中等教育学校の1年生と、高校1年生の両方の新入生を迎えることになります。高校は、平成22年度に最後の卒業生を送り出すことになりますが、平成18年度から、高校と中等教育学校は、事実上1つの学校のように運営していく予定です。これから始まる、中等教育学校の本格的な準備も、できるだけ、開設準備室と高校が協力して進めることになっています。ですから、ここに入学された皆さんにも、高校と中等教育学校の一緒になった学校に入学してきたつもりで、中等教育学校について意見をだしたり、開設準備室の先生方に接していただけるとうれしく思います。
 校長室は、1年生の教室のある校舎の1階にあります。何か言いたいことや聞きたいことがあるときには、いつでも校長室を訪ねてください。月曜日の朝8時10分から10分間、校長室で、生徒の皆さんに話をする会を開いています。参加は自由ですが、ぜひ月曜日の朝は、校長室へ来てみてください。また、校長室の前に、「校長への手紙箱」というのを今度新しく用意しました。直接会うよりも、手紙の方が質問したり、要望を言ったりしやすい方は、どうぞその手紙箱を利用してください。
 ご臨席のご家族の方々や、先生方と同じように、私も、新入生の皆さんが、充実した高校生活を送り、のびのびと成長していけるように、できるだけのことをしたいと考えています。皆さんも、自分で決めて自分から行動するとともに、友達を大切にし、ご家族を大切にして、充実した楽しい高校生活を送れるよう、どうぞ精一杯頑張ってください。よろしくお願いします。

世界の問題への関心と自分の意見 2004.4.12 No.37

<イラクの日本人人質>
・ 戦闘の続くイラクで、民間の支援活動やフリーの報道活動のために、バグダッドへ向かっていた日本人3人が、誘拐されました。カタールのテレビ局へ送られた映像と声明文で、3日以内に自衛隊がイラクから撤退しなければ、3人を殺害すると脅してきました。脅されているのは、日本の政府であり、日本の国民であると思います。
・ 大変悲しむべきことで、犯人たちに対して怒りを覚えますが、多くの人たちの尽力の結果、解放されそうだという報道があり、早く解放されることを祈っています。
・ このような身近な問題として捉えられる大事件が起こったときは、事実を良く知り、いろいろな人たちの対応を良く見聞きし、自分で感じ、自分で良く考えようと、私はしてきています。生徒の皆さんにも、ぜひそうしてほしいと思います。

<ご家族の気持ち>
・ 人質になった3人のご家族のインタビューや記者会見の模様が、繰り返し報道されています。私が聞いたご家族の声の中で特に心を動かされたのは、ある方のお母様のお話でした。そのお母様は、犯人たちや、その周りのイラクの人たちに、ただ、人質の解放をお願いするという気持ちが、そのまま素直に表現されていて、こういう声が届けば、解放されるのではないかと思いました。
・ 自衛隊を撤退させなければ殺害すると脅してきているわけですから、家族としては日本政府に撤退してほしいと言うのも気持ちとしてはわからないわけではありません。また、誘拐して人質にしている犯人を、強く非難しても当然だと思います。しかし、驚きと悲しみの中で、上記のような対応をされているお母様を見て、こういう対応が人々を動かすのだろうと思いました。また、こういう人のもとで、危険を顧みず、異国の人々のために尽くそうという子供が育ったのではないかとも思いました。
・ とは言っても、肉親が辛くて危機的な状況にあるのですから、怒りや感情をストレートに表現されているのも、当然だという気持ちもあります。ただ、解決に向けて多くの人々が最大限努力をして下さるためには、あまりストレートだとちょっと心配だなという部分もないわけではありませんでした。

<解決へ向けての方策と行動>
・ イラクは紛争状態にあるわけですから、いろいろな人々がいろいろな立場で関わっています。それぞれの人々は、自分たちが正しいという立場なのだと思います。そういう中で今回の誘拐人質事件のようなことを解決するには、相手を非難したり、ただ相手の要求をのむということでは、解決しないのではないかと思います。そういう意味で、今回の対応は、家族の皆さんも、政府も、新聞社等の報道機関も、国民も、比較的冷静に適切に対応していたように思いました。

命の重さと命を奪われ続ける人たち 2004.4.19 No.38

<命の重さ>
・ イラクで人質になり、自衛隊を撤退させなければ3日後に焼き殺すと日本政府が脅された3人の日本人が無事解放されました。また、別に拘束されていた2人の日本人も無事解放され、ご家族を始め、日本中の多くの人がほっとし、喜びました。
・ この5人の方は、イラクの人々を援助するためや、フリーのジャーナリストとして、日本政府の勧告に反して危険地域のイラクに入国していたので、批判も受けていましたが、政府を始め多くの人々が、5人の命を救うために、様々な方策を尽くして努力した結果の解放だと思います。
・ この時期、いろいろな国からイラクに入って活動していた人たちが多数誘拐されました。その中には、残念ながら殺されてしまった人たちもいたわけで、日本の5人も状況によっては命を奪われる可能性がありました。5人を救うために費やされた多くの人たちの努力と費用は莫大ですが、命の重さに比べれば、その甲斐があると考えられています。

<イラクで命を奪われる人たち>
・ イラクで誘拐された5人の日本人を救うために、多くの日本人や、イラク人や、ヨルダン人や、アメリカ人が、それぞれ精一杯の努力をしたのだと思います。特にイラクの聖職者の人たちの動きが大きかったと報道されています。一方、イラクでは毎日のように戦闘で人命が失われています。
・ 戦闘で失われる命と、人質になって解放された人の命の重さが違うわけではありません。日本人とイラクの人たちの命の重さも同じです。戦闘に直接関与しているイラク人やアメリカ人の命の重さも、イラクの民間人の命の重さも同じです。それでも、一方はやむを得ないという判断で失われていき、他方は大変な努力で守られていくわけです。
・ なぜ、すべての人々の命を最大限守るために、世界の人々、国々が一致して努力をすることができないのでしょうか。なぜ、戦争をやめて平和な世界にならないのでしょうか。それは、ヒトという生き物に避けようもなく組み込まれてしまっていることなのかもしれません。それでも多くの人たちの努力で、戦闘で失われる命は少なく押さえ込まれてきており、これからもそういう努力で少なくしていけると私は信じています。

<日本で命を奪われる人たち>
・ 5人の人質の命を大変な努力で救った同じ国でも、不当に命を奪われている人たちがたくさんいます。交通事故で亡くなった親類や知人がいる人も多いと思いますが、日本では毎年1万人近くの人たちが交通事故で亡くなっています。また、タバコを吸うことにより毎年3万人以上の日本人がガンで余分に(早く)命を奪われています。これらの交通事故や喫煙により失われている命を救うためにできるだけの努力が払われているのでしょうか。感情に訴えやすいかどうかに関わらず、命の重さを大切にしたいと思います。

最高に高い目標を目指す 2004.4.26 No.39

<オリンピックへの出場>
・ 男子に続いて、女子サッカーもアテネオリンピックへの出場権を確保しました。強豪の北朝鮮チームを堂々とやぶっての出場です。水泳の日本選手権でも、過去3年間の世界でのベスト16位(同一国は2名)の派遣標準記録をクリアーして優勝者と2位の選手が、オリンピック代表を次々に決めています。
・ どちらの競技の場合も、選手やコーチ・監督の努力はもちろんのこと、全日本の競技団体がオリンピックへの出場やそこで良い成績を上げることを目標に組織的かつ科学的に強化に取り組んでいることが、良い結果をもたらしつつあるような気がします。長野オリンピックでのスキーのジャンプやスピードスケートの場合もそうだったような気がします。最近の女子フィギアスケートやシンクロナイズドスイミングの場合もそのような取り組みとその成果を感じます。

<附属高校生にとっての「オリンピック」>
・ ここでいう「オリンピック」は、「最高に高い目標」のような意味です。オリンピックに出場するような選手は、小学校から高校ぐらいまでのいつか、オリンピックへ出場することを目標にしたのだと思います。最初はきっと、ほとんどの人が夢のような目標だったに違いありません。その目標に向かって、有効な努力を重ねることで、ほんの少しの人が実現できるわけです
・ 附属高校生にも、自分なりの「最高に高い目標」をもって高校生活に取り組んでもらえたらと思います。どの程度の目標が、現実に意味のある「最高に高い目標」なのかと考えてみて、実現可能性が0.1%ぐらいの目標がいいかもしれないと思いました。0.1%だと千人にひとりですから、附属高校生全員が取り組んでくれれば、2年に1人が実現できることになります。
・ 目標へ向かっての努力による成果は、例え目標に到達できなくてその少し前かだいぶ手前までにしか届かなかったとしても意味のあることが多いと思います。もっと高い確率で実現できそうな堅実な目標を設定することも必要ですが、その時同時に、ずっと高い目標も考えるといいと思います。高い目標があることで、意欲や集中力が向上し、より多くの人たちの支援が得られるようになります。

<私にとっての「オリンピック」>
・ 私は科学研究者をしてきましたので、例えば「ノーベル賞を受賞する」ことが「オリンピックで優勝する」ことに匹敵します。30才ぐらいの時は、ノーベル賞を目指してほしいというようなことを言われたこともありますが、自分ではそれほどのレベルに本気では取り組みませんでした。その後、近い分野の3才年上のドイツ人がノーベル賞を受賞しました。その人と国際会議の時に主催者の部屋割りで5泊ホテルの室が同室だったこともあります。私も、もっと高いレベルを目指せば、受賞まではいかなくても、かするぐらいのことはあったかも知れません。今、校長として、「最高に高い目標」は何かを考えているところです。

うそをつかない大切さ 2004.5.10 No.40

<うそや隠し事はなぜいけないか>
・ うそや隠し事で窮地に追い込まれる事件がマスコミで次々に報じられています。三菱自動車のトラックなどの大型車の車輪をとめるハブという部品の問題点について、アメリカのイラク駐留軍によるイラク人虐待問題について、そして日本の政治家の国民年金未払いや未加入問題です。
・ 3月の校長だより31号でも、京都での鳥インフルエンザに関して養鶏業者が何日も隠し、発覚してからもうそをついていたことを書きました。ただし、そのケースでは、人間の弱さが出たのだと今でも私は考えています。1万羽以上のニワトリが次々に死んでいるのに、当時の状況で隠し通せるわけがないからです。
・ 一方、上記の三菱自動車、アメリカ軍、政治家の国民年金問題については、もっと意図的な隠し事やうその部分が含まれているように感じます。なぜ、そのようなうそや隠し事がいけないのでしょうか。

<自分たちの利益を優先するためのうそや隠し事>
・ 三菱自動車の場合は、最初は部品に欠陥がないとたかをくくっていた不注意の範囲かもしれません。ところが、部品に欠陥が疑われても、それによって人命までもが失われても、会社の利益を優先して、隠し事やうそを重ねていたわけです。
・ アメリカ軍の虐待は、そもそも虐待自体があってはならないことですが、その報道があった後の責任ある立場の人たちの対応が、隠し事だらけのもので強い批判を浴び、謝罪に追い込まれました。イラク問題でのアメリカの立場をできるだけ悪くしないことを優先した隠し事だったと思います。
・ 政治家の国民年金未払い問題のうち、福田前官房長官がしたことも、国会で審議中の年金法案を成立させることを優先させた隠し事でした。すでに自身の未払いを知っていた後の記者会見で、質問に対して意図的に隠していたわけですから、ほとんどうそをついていたに等しいと思います。

<うそや隠し事を許さないことから、しないことへ>
・ 報道や言論の自由のなかで、そのような自己の組織の利益を優先したうそや隠し事の実態が明らかにされ、追求されていることは、健全なことだと思います。ただし、政府や大企業で似たような責任ある立場にいる人たちが、うそや隠し事をしてはいけないと、それらの事件を十分批判的に捉えているかどうかが心配です。
・ また、権力を持たない一般市民の人たちは、今回のうそや隠し事に大変批判的でいいことなのですが、その同じ人たちが逆に権力を持つ側に立ったときに、同じようにうそや隠し事をしないかどうかについても、不安があります。
・ 高校生のような特に力を持っていない人たちのうそや隠し事は、それほど周りの人に害を及ぼさないことが多いかもしれません。しかし、自分や自分達の利益のためにうそや隠し事をしないということは、早くからしっかり身につける必要があると思います。

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