入学式式辞:幸せと自由と勉強 2003. 4. 8  No. 1

<はじめに>
 162人の新入生のみなさん、入学おめでとうございます。都立大学附属高校を選んで入学してくれて、どうもありがとう。また、ご家族の皆様方、本日はほんとうにおめでとうございます。本校受験で、ご心配をしたこともあったかと思いますが、この入学式を迎えられてさぞお喜びのことと思います。これから3年間、新入生たちがこの学校で充実した、楽しい高校生活を送れるよう、ここに会している全員で力を合わせていきたいと思います。

<幸せについて>
 私もこの4月に東京都立大学から校長に着任いたしました。ですから、新入生たちと同じフレッシュな気持ちで、少しどきどきしてこの入学式を迎えています。
 校長になることが決まってから、私は何を目標にこの学校ですごして行けばいいのか、よく考えてみました。そして、考えついたことは、「この附属高校に入学してきた生徒達が幸せになることを、何でもどんどんやろう」ということでした。幸せになってほしいという意味は、この学校での3年間はもちろん、将来もずっと幸せになってほしいということです。
 この気持ちは、きっと、後ろに座っていらっしゃるご家族の方々と同じだと思います。また、本校の先生方や、ここにご臨席いただいたご来賓の方々も、そう思って下さっていることと思います。
 それでは、どうしたら幸せになれるでしょうか。幸せになるなり方は、とてもたくさんあると思いますから、それぞれの人が自分にあったやり方で、幸せになっていくのだと思います。
 ただ、私が今までの自分の人生を振り返って、それから、今まで読んできた本や聞かされてきた話を思い出してみると、幸せになる近道もあることに気付きます。それは、「人の役に立つことによって幸せになれる」ということです。
 あなた方は高校で勉強して、多くの人は大学へ進み、やがて就職します。就職して、安定したそれなりの金額の収入があると、現代の社会ではある程度、幸せになることができます。では、どうすれば、安定した収入の職を得られるでしょうか。
 私は、大学で教えていますから、大学生が就職活動をする様子もずいぶん見てきました。学生たちが、「自分がやりたいことをやりたいから」とか「収入を得たいから」という気持ちで就職活動をしている間は、なかなか就職が決まりません。やがて「自分はその会社でどういう役に立てるか」とか「自分のもっている力はどういう会社で特に役に立つか」ということを考えるようになると、もともと力をもっている学生は、どんどん就職が決まって行くのです。会社は、よい製品やよいサービスを提供するのに役に立つ人を雇えば、利益をあげることができ、従業員に安定して給料を払えるからです。
 もちろん、「自分のやりたいことをしっかり見つけてそれをやっていく」のも人生では大変大切なことです。ただ、「自分のやりたいことをやって」はいるけれど「人の役に立つことのない人」は、幸せになることはできないと思います。これはほとんど断言してもいいと、私は思っています。逆に、「自分のやりたいことは残念ながらできていないけれど」「人の役に立っている人」もいるでしょう。こちらは、ある程度幸せになることができます。あなた方には、「自分のやりたいことをしっかりと見つけてそれをやり」、同時に「それをやることで人の役に立って」幸せになってほしいと願っています。
 これからの高校生活の中でも、みなさんには「人の役に立つことで幸せになる」ということを心掛けてほしいと思います。高校生活を過ごす中で、たくさんの友人や親友ができ、その人たちといろいろな活動ができると、高校生活が楽しくなり幸せになれます。では、どうすれば友人や親友がたくさんできるでしょうか。人は多かれ少なかれ利己的なものですから、自分の役に立つ人と友だちになりたいという気持ちがどこかにきっとあります。ですから、あなたが誰かの役にたてるように心掛ければ、友だちが増えていきます。話をよく聞いてあげることでもいいし、自分が得意な勉強を教えてあげることでもいい、病気の時にちょっとお見舞いのカードを送ってあげることでもいいと思います。
 どうか、この「人の役に立つことで幸せになる」ということを、こころの片隅にちょっと留めておいていただけるようお願いいたします。

<自由と自治について>
 次に、本校が大事にしている「自由と自治」ということを少しお話したいと思います。また幸せの話になってしまうのですけれど、人は自分の行動を自分で決めてそれがうまくいくと幸せになるようにできています。「できています」というのは、私の専門の生物学の言葉に言い換えると、そういう性質を獲得したヒトという生き物が、進化の過程で生存競争の結果生き残ってきたということです。この性質には、ヒトという生き物はほとんど逆らうことができないのです。
 つまり、先生や親にきめられたことをきめられた通りにやり続けていても、本当に幸せにはなれないということです。ただ、子どもは、小さい時は、親や周りの人たちを、ただまねることで成長を始めていきます。小学生、中学生のころも、与えられた勉強をただしっかり行うことで大きく成長することができます。
 ところが、これからもっと大きくなって、一人前の大人になると、自分のことは自分で決めて、それに従って行動して、それで成果が得られると、充足感が得られるようになります。自分自身の心が、自分自身の行動の完全な主人になるということです。それが、「自由」だと私は考えています。
 高校生、大学生の時代は、その途中の段階です。勉強の多くは教わった通りにしっかり覚え、しっかり練習することであなた方はさらに成長することができます。しかし、それだけでは足りません。私は、大学で、受験勉強ばかりたくさんやって入学してきたけれど、大学で何をどう勉強し、行動していいかわからない学生をたくさん見てきました。そこで悩んで自分なりの解答を見つけられればいいのですが、大学でも受け身の勉強で通してしまい、社会に出てからいつまでも自立できなくて困っている人も知っています。
 この都立大学附属高校に入学してきたみなさんは、ぜひ「自由と自治」の意味を自分なりによく考え、先生やご家族の話もよく聞いて、自分の行動は自分できめる、自分達のことは自分達で治めるということを、だんだんと少しずつ始めて下さい。一気にやろうとするとうまくできないこともあります。3年間かけて、自分なりの「自由と自治」の意味と行動パターンをぜひ掴んで下さい。
 自由というのは、自分勝手というのとはまったく違います。自分がきちんと受け止めた社会的なルールやマナーの範囲で、責任を持って、自分で決めて行動するということです。行き過ぎがある時は、先生やご両親から、助言や時によっては強制的にやめさせられることがあると思います。一見、それは「自由と自治」に反するように思えるでしょう。しかし、「自由と自治」というのは、まったく放任しておいて育ったり、守れたりするものではありません。みなさんには、先生やご両親からの助言や強制もしっかり受け止めて、成長していただきたいと願っています。

<勉強と学校生活について>
 高校での勉強についても、少しお話しします。ことしの新入生から、新しいカリキュラムが導入され、本校でも45分、7時間の授業が始まります。皆さんは、まず、授業を大切にして、授業に集中するよう、努力して下さい。先生方は教えるプロですから、みなさんが授業に集中しさえすれば、力は必ずついてきます。また、授業でわからないことがあったら、後で聞こうなどと思わずに、その場で質問する習慣をつけるようにすることも大切だと、私は思っています。 それから、家庭での学習にも注意して下さい。高校で難しくなる教科もありますから、毎日2時間以上は、家庭でも予習・復習の勉強をするようにして下さい。これも、集中してやることと、計画的にやることが大切です。
 この2つの、授業に集中することと、2時間以上の家庭学習をすることを実行しさえすれば、高校の最初の2年間は、勉強については十分だと思います。後は、自分が好きなことを選んで力一杯打ち込んで下さい。クラブ活動をがんばるのでもいいし、学校行事の中心的な役割をはたすのでもいい、また、何かボランティア活動に参加するのもいいと思います。
 勉強も大事にするけれど、クラブ活動や自治活動、学校行事も大事にすることで、豊かな高校生活が送れると思います。またそれ以上に、両方を大事にすることでいろいろな面で成長し、生きていく本当の実力がつくことになります。
 高校時代は、いろいろ悩んだり考え込んだりする時期でもあります。悩んだり考え込んだりしたら、友達でも、ご両親でも、先生方でも、だれでもいいですから早めに相談するといいと思います。大学や進学にかかわることでしたら、私も相談に乗れると思いますので、どうぞ校長室へ訪ねてきて下さい。
 本校では朝礼がないのですが、かわりに月曜日の朝、8時10分から20分までの10分間、校長室で私が来てくれた皆さんに少しお話をする会を来週から毎週始めます。参加するかどうかは全くの自由ですので、校長の話をちょっと聞いてみてもいいかなと思った人や、校長室をのぞいてみたいと思った人は、ぜひ参加してみて下さい。朝早いですから、バッグをもったまま飛び込んでいただいても結構です。

<イラク戦争について>
 それから、イラク戦争についても、ひとことふれたいと思います。残念ながら、この入学式の最中も、アメリカなどの国が先制して始めた戦争がイラクで続いています。日本の政府も、アメリカ側をかなり積極的に支持しています。このような世界の一大事について、あなた方に無関心であって欲しくはありません。また、私も、難しい問題ですが、この式辞の中で避けるべきではないと考えました。
 先制攻撃を仕掛ける戦争は、どんな場合でもするべきではないと考える人たちが、世界にはたくさんいます。一方、より大きな戦争や不幸をさけるためには、先制攻撃をしかける戦争があってもしかたがないと考えるひとたちも、またたくさんいます。しかたがない場合があると考える人たちの中でも、今回のイラク戦争を必要だ、またはやむを得ないと考える人たちと、今回はするべきではなかったと考える人たちがいます。
 つまり戦争に対する考え方は、いろいろあって、だれもが納得する正解はないということです。しかし、それぞれの個人は、自分なりの答えを持って自由に発言し、必要だと思えばそれに基づいて責任を持って行動すべきだと、私は考えます。
 ただし、みなさんはまだ、成長の途中、勉強の途中です。必要だと思っても、行動するのは、もう少し先に延ばしていただくのがいいと思います。そのかわり、どうぞ、この戦争に関心をもって、ニュースを聞き、自分で考え、友だち、ご両親、先生とも話しあってみて下さい。そして、誰がどんなことを言っているか、そして今後、戦争とその後の混乱や復興がどのように進んでいくかを、よく観察していって下さい。将来あなた方が30歳40歳の大人になって、もっと身近な戦争について行動しなければならない時がこないとも限りません。その時、今回のイラク戦争の経緯をしっかりと見ていた経験が生きると思います。
 第1次世界大戦と第2次世界大戦では、世界中でたくさんの人たちが死んだり、不幸になったりしました。その反省に基づいて、国際連合ができました。戦争についての問題が解決したわけではありませんし、ほとんど進歩が無いようにも見えますが、全体としてはゆっくり前進していると私には思えます。ユネスコ憲章にある次のフレーズを知っている人も多いと思います。「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」私も、小さな石を、そのとりでに一つ加えることがいつかできればいいと考えています。みなさんにも、いつか一つ小石を加えることができるよう、ゆっくりと考えていっていただければと思います。

<おわりに>
 約1ヶ月前の3月12日、この同じ場所で、本校の卒業式が開かれました。私は、校長になる予習のために見学させていただきましたが、卒業生の多くの人たちが、この学校をとても好きになって卒業していくことがよく分かり、大変うれしく思いました。3年後には、みなさんがこの学校を大好きになって卒業していかれるよう、先生方と一緒にできるだけのことをしたいと考えています。みなさんも、自分でよく考え、自分から積極的に行動して、充実した高校生活を送って下さい。心から応援しています。

校長室での朝の会を毎週開きます 2003. 4. 14 No. 2

<朝の会>
・毎週月曜日の朝、8時10分から8時20分まで、校長室で、生徒の皆さんにお話しする会を開いてみることにしました。朝早くから校長の話を聞いてみたい人がどのくらいいるか、わかりませんが、一人でも来ていただけたら、何か話してみることにします。人数が少なければ、一緒におしゃべりをすることにしたいと思います。10人以上だったら、こちらから何か、人生の足しになるかもしれないことを話します。

<なぜ朝の会をやってみようと思ったか>
・私が通った中学高校も大学の附属学校で、校長は大学の教授でした。実は、朝礼の代わりの昼礼というのが毎週あって、校長が時々、話をしていました。私は、割とその校長の話を聞くのがすきで、ちょっと楽しみにしていたころがありました。自分が校長になることなった時に、そんなことを思い出して、皆さんに、式の時以外にも、少し話をしてみてもいいかなと思いました。
・皆さんにお話しする会をやっても、人が集まらないかもしれないとも思いましたが、何でもやってみなければわからないので、始業式と入学式でやることを宣言してしまいました。とにかく、いろいろなことを何でもやってみようという精神です。

<どうして校長室で朝の会をやることになったか>
・皆さんに毎週何かお話しする朝の会をやってみようかなと思った時に、森先生に、視聴覚室でできるかどうか相談してみました。朝礼のイメージがあったので、視聴覚室を考えてみたのですが、森先生は、集まったとしても人数は少ないだろうから、校長室でやったらどうですかと言って下さいました。なるほどと思い、すぐにそうすることにしました。校長室なら、例え少ない人数が来てくれたとしても話しやすいし、だれも来てくれなくても、ただそこで待っていればいいわけですから。

<校長室について>
・校長室は事務室の隣の隣にあって、もっぱら一人で使うには、広すぎるほどの部屋です。半分は、小会議用のスペースで、残りの半分に、校長の机とすぐ横に4—5人用の打ち合わせ机、それにお客さんや先生方、生徒さんたちと少しくつろいで話ができるソファーが置いてあります。イスは全部合わせると校長用も含めて41ありますので、かなりの人数が集まっても大丈夫です。
・ 私が着任してから、少しだけ校長室の模様替えをしました。美術の石川先生にお願いして、生徒の作品を3点壁に掛けていただきました。それまでは、10年以上前の校舎とそのまわりの航空写真が2点かかっていたのですが、もう古くなっていたのでロッカーにしまいました。3点の油絵がかかって、部屋が明るくなりました。そのうちの2点は、今の3年生が1年生の時に描いた初めての油絵とのことです。

友人や先生との出会いを大切に! 2003. 4. 21 No. 3

<友との出会い、先生との出会い>
・新入生はもちろん、2、3年生も新学期になって、新しい友、新しい先生との出会いがあったと思います。どんな出会いでしたか。これから深まっていく予感のある出会いは、どのくらいありましたか。人との出会いを大切にし、自分からその出会いを育てていってほしいと、多くの先生方などから何度も聞かされてきたと思います。私も、同じ言葉を皆さんにお伝えしたいと思います。

<小学校の時の同窓会:昔の出会いの44年後>
・先週の土曜日(4月19日)小学校の時の同期会に出てきました。実は、正確には小学校ではなくて、私は通わなかった中学校の同期会なのですが、特別に参加させてもらいました。
・小学校に入学した時の教室で2人用の机の隣がA君でした。入学式の日かその次の日に、A君と校門で待ち合わせてお互いの家を紹介し、それから同じクラスだった3年間、ほとんど毎日のようにA君と遊んでいた気がします。中学校は別の学校へいったので、その後は、会うこともなくなりました。
・大学卒業後、育った街羽田を離れて10年後にまた羽田に戻りました。そして、A君と電車の中で、たまに一緒になり、また話すようになりました。そのA君の紹介で、自分が通っていない中学校の同期会に出席させてもらったわけです。
・地元の中学校ですから、同じ小学校に通っていた人がたくさんいます。小学校は6クラスでしたから、同じクラスにならなかった人も多いのですが、知っている人がたくさんいて懐かしい時を過ごしてきました。
・何人もの旧友と小学校時代の話をして驚いたことは、共通の想い出もありましたが、一緒に過ごした時のことでも、一方だけが覚えている想い出がとても多かったことです。たくさんの出会いから人はそれぞれ自分なりに感じて、その積み重ねで自分が作られてきたのだと思いました。

<小学校の時の同窓会:新しい出会い>
・その同期会には、中学校の時の先生が3人呼ばれていました。その先生のうちのお二人は、卒業の時の担任で今までも何度も同期会に参加されていたそうです。もう一人は、1-2年生の時のB先生で、今回初めて呼ばれて参加されたそうです。
・四十数名の参加者が一人ずつ自己紹介と想い出話をしたのですが、何人もの人が、B先生に楽しくお世話になった想い出を話すので、その先生に興味をひかれました。
・思いきってB先生に話しかけると、初対面なのに、以前から知っているように親しく話していただきました。昔の話を聞こうかと思ったのに、退職後されている塾が楽しくて充実しているというお話で、今を大事に積極的に生きられていることがよく分かりました。きっと中学の教員時代もその時々を精いっぱい生徒と関わり、それが生徒に通じたのだと思いました。

制約の中での自由 2003. 4. 28 No. 4

<鳥のように自由に空を飛びたいか>
・高校へ通うある天気の良い朝、ちょっと距離のある京急の蒲田駅から東急の蒲田駅まで、急ぎ足で歩いていました。ふと空を見るとハトが、青空をバックに滑空していました。なぜか、それがとても気持ちよさそうに見えて、ああ、空を飛べていいな、私もあんなふうに自由に空を飛べたらいいな、と思いました。
・そんなふうに考えたことは、私はこれまでなかった経験なのですが、慣れない校長職に取り組んでいて、心のどこかに不自由な気持ちがあったのかもしれません。それとも、ただ単に、そのハトがとても気持ちよさそうに飛んでいたからかもしれません。

<人のように地上を自由に歩きたいか>
・ところが、次の瞬間、自分は自由に地上を歩けていてうれしいな、という思いが心に浮かびました。なぜ、そんな気持ちになったのは、やはりさっぱりわからないのです。それでも、自由に空を飛べたらいいなという気持ちがすっと無くなって、自由に歩けていいなという気持ちがふっと湧いたのです。
・そんなことを考えたこともこれまでに覚えがないのですが、その理由は、なんとか楽しく自分の考えも出しながら校長職を始めてこられたからかもしれません。それとも、ただ単に、その日十分睡眠がとれて、気持ち良く朝起きられて、家を出たからかもしれません。

<歩くことができなかったら不自由か>
・それでは、もし歩くことができなかったら、私たちは不自由でしょうか。もちろん、大変不便で、その意味では不自由だということになるでしょう。でも、空を飛べなくても、地上をあることが自由にできるように、地上を歩けなくても、まだまだ自由にできることがたくさんあるのでは無いでしょうか。
・そう考えてくると、どんな人でも、どんな生き物でも、ある条件の中でだけ自由に生きているのではないかという思いが浮かんできます。そして、空を飛べてすごく自由に見えるハトも、生きていくにはたくさんの制約があって、とても不自由な中で、自由に空を飛んでいることに気が付きます。
・絶対的な自由などということは、どこにも存在しないのでしょう。いつでも、たくさんの制約の中に自由があるのだと思います。それでも、自由を拡大していこうという営みは、とても尊くて大切にすべきことだと思います。人為的に無理に自由を押さえ込むのは、あってはならないことだと思います。

<空を飛びたいと思うことは意味が無いか>
・単に憧れて空を飛びたいと思い、無謀に空を飛ぼうとしても、いつまでたっても飛べないばかりか、本来できることもできなくなってしまうと思います。
・一方、空を飛びたいという思いをどうしたら実現できるかについて、これまでわかっていることをよく調べ、それを元によく考え、いろいろ試してみると、飛べるかも知れません。そうやって飛行機ができました。

正解のある勉強とない勉強 2003. 5. 6 No. 5

<大学の先生による連続授業>
・本校の特色の一つに、多彩な大学との連携プログラムがあります。もともと1つの学校が高校と大学に分かれ、12年前まで同じキャンパスにあった時は、高校生がいつでも大学の雰囲気に接していました。大学と離れたことで、それまで以上に意識的な都立大学との連携プログラムが始まり、発展してきました。
・「大学の先生による連続授業」は、その中でも中心の一つをなすもので、今では都立大学の先生に限らずいろいろな大学の先生に附属高校まで来ていただいて、年間十数回の授業が行われています。
・5月8日にオリエンテーションを兼ねた第1回目があり、私が話します。以下は、その回のために用意したまとめの要約です。

<正解のある勉強と、まだ正解のわからない学問>
・高校までの勉強は、ほとんど正解があります。人類はたくさんの知識や技術を蓄積してきていますから、すでによく分かった知識や、確かな技術を良く習い、良く覚え、良く身に付けることが大変能率的です。
・大学に入学後必要になる勉強は、すでにわかっていることを良く身に付けて十分使うということに加えて、まだ誰も知らないことを明らかにし実際に使ってみることに繋がる学問です。
・今後、高度情報化社会、国際的自由競争社会、環境・エネルギー・食料などの問題が山積する社会において、そのような学問がますます重要になってきます。すでに分かっていることの適用だけでは、処理できない問題がどんどんと出てきており、すでに分かっていることの適用だけでは、競争の中で十分な貢献をすることができなくなってきています。つまり、創造性が問われているということです。

<どのように連続授業に取り組んでほしいか>
・できるだけ広く関心を持って、なんでも受講してみてほしいと思います。自分の可能性を広げるという意味でも重要ですし、進路の方向が決まっている人でも、他の分野の様子がわかると大変役に立つものです。
・次に、ただ受け身的に講義を聴くのではなく、自分から積極的に考えながら授業を聴いてほしいと思います。自分で考えながら授業に取り組めば、より多くのことを得ることができると思います。
・その次に、大学の先生が話すことは、まだ正しいかどうか完全には明らかにはなっていないことが多いということを心に留めて、もしかしたら正しくないことを話されているかもしれないというつもりで聴くことが大事です。高校までの先生は、すでによく分かっていることを話すのが主な仕事です。大学の先生は、まだ完全には分かっていないことについての自分の考えを話すのが主な仕事です。ですから、大学の先生の話は、十分批判的に聴く必要があります。
・最後に、できるだけ質問をしてほしいと思います。積極的に聴いたり批判的に聴けば、必ず疑問が浮かぶはずです。それをすぐ言葉にして質問して下さい。

高いレベルを目指して実現する 2003. 5. 12 No. 6

<出身クラブの試合をはじめて見にいったこと>
・ 35年前の高校1年のはじめの半年だけバレーボール部に所属しました。生物部と視聴覚委員会とのかけもちで、適性もなく、秋の文化祭の準備が忙しくなるので、やめてしまいました。それでも、半年間運動部に所属したことは、とても良い経験になりました。半年でやめた私にもOB会の連絡はずっと来ていました。
・ そのころ母校のバレー部は、都大会へ出てもたいてい1回戦か2回戦で負けていました。OB会の役員から、関東大会に出ることになり、都のベスト4に挑戦する試合が5月3日にあるという知らせを受けたのは、4月末のことでした。団体競技のスポーツで、そういうレベルまで勝ちあがったのは開校以来初めてのような学校で、どうしてそんなに強くなったのかという興味もあり、応援に行ってきました。

<試合前の練習でかいま見た指導者の力と厳しさ>
・ 試合開始の1時間以上前に、会場に到着しました。他の高校はそれぞれ校名の横断幕が複数掲げられていましたが、我が母校はそんなものはありません。
・ そのうち、体格的に劣る選手たちが会場に入ってきて、母校の選手たちだとわかりました。指導者も一緒に入ってきましたが、すぐコート脇のベンチにすわり選手だけで準備練習が始まりました。その時練習に使われたボールが全部ニューボールだったのが他の高校と異なり印象的でした。たぶん指導者の考えで、わざと練習にニューボールを揃えてきたのだと思います。
・ しばらく選手たちだけでパスや基本的なレシーブの練習をした後、やおら指導者が立ち上がり、本格的なレシーブの練習が始まりました。その後20分ぐらいにわたり、毎秒ぐらいの頻度で次々に選手に、力一杯ボールを叩き付けていきます。選手は次々に変わるのに、指導者が休みなくボールを打ち続けるのに、まずびっくりしました。他のどの3チームも、試合前にそんなに激しい練習をしていませんでした。
・ 中には、そんなボールをほとんどレシーブできない選手もいるのですが、それでも10本ほど手加減しないボールを打ち込みます。その後、イージーボールを出してレシーブさせ、やっと次の選手に移ります。
・ その練習中にちょっとの不注意で選手同士がぶつかった時のことです。大変激しい叱責が、不注意のあった選手に向けられました。不注意の程度に比べて、その叱責の激しさに驚かされるとともに、その厳しさに、もともと力がそれほどない選手たちに力をつけさせてきた秘密の一端があるように思いました。

<どのぐらい上を目指すか>
・ その指導者は、やるからにはできる限り上を目指すという考え方なのだと思います。それを生徒たちも受け入れて、努力し、成果を上げたのだと思います。
・ みんなが同じように上を目指しても、同じように成果が得られるわけではありません。それでも、人はもっともっと上を目指すことで向上して行くことができ、より充実した人生が送れるのではないかと思います。

定期試験のための勉強 2003. 5. 19 No. 7

<中間・期末の試験勉強の想い出>
・ まず、高校生の皆さんに参考にしてほしくない想い出話から書きます。私は高校生の時、生物部の活動、視聴覚委員会の活動、行事などに忙しくしていましたので、1年生の2学期ごろから、あまり中間・期末の試験勉強をしなくなりました。当然、点数はどんどん落ちてきて、数学で0点をとったこともあります。
・ 英単語を覚えるとか、漢字を覚えるとか、数学の公式を覚えて問題を解くということに、意味がないように思えてしまいました。単に覚えても、試験でいい点をとるには役に立つかもしれないけれど、その後にはほとんど役に立つことがないのではないかと、考えてしまったわけです。
・ 一方、原理的なことから理解したり、初めて見るような問題を考えて解くのは好きでしたので、理科や社会は自分なりに勉強して、時には、学年1番をとったこともありました。そういう時はたいてい、学年の平均点が60点以下で、自分の点もせいぜい80点ぐらいだったと記憶しています。単に覚えてもできないような問題が得意だったということです。

<試験のために覚えることに何の意味があるか>
・ 学校の成績でいい点をとることに意味を見いだせている人は問題ないと思いますが、私の高校生の時のように、いい点を取ること自体には意味を見いだせなくなる人もいるでしょう。そのことは、決して悪いことではないと思います。いろいろなことを疑って、自分
・ なりに解答を見つけていくことは、人生にとって欠かせないことだからです。
・ とはいっても、それで試験勉強に身が入らなくなると、後で困ることになります。私は、大学で生物学科に入りましたが、生物学を勉強するには英語の本や論文をたくさん読むことが必要です。また大学院へ行ったら、英語で論文を書いたり、英語で議論をすることが必要になりました。生物学でも物理学に近いことを専攻したので、数学も必要でした。30代で植物学会の役員になった時は、ある選挙の開票を黒板に書くように言われ、それほど難しくない人名の漢字が書けなくて恥ずかしい思いをしました。
・ 基本的なことをきちんと覚えておくべきだったと気が付いた時は、もう遅かったわけです。英語だけはどうしても必要でしたので、大学院へ行ってからの2年間、中学2年生向けのラジオ講座、続基礎英語を毎日聴いて、なんとか使い物になるようにしました。

<どう能率良く覚えるか>
・ 覚えることの必要性をきちんと理解できれば覚えやすいと思いますが、理解できない場合でも、きっといつか役に立つと信じられれば、覚えやすいはずです。後は、勉強に集中すること、すでに知っていること関連づけること、反復、どうがんばってもできそうもないところを棄てること、目で追うだけでなく書きながらや口に出しながら覚えること、覚えた後睡眠をきちんととること、けっしてあせらないこと。

感染症と闘う医療関係者の勇気 2003. 5. 26 No. 8

<SARSと戦う医師たち>
・ 新型肺炎の重症急性呼吸器症候群=SARSが、中国、台湾で猛威を振るっています。先週は、感染した台湾人医師が日本を旅行したことがわかり、西日本の関係した地域では対応に追われましたが、感染者の離日から潜伏期間とされる10日がすぎ、二次感染がなかったようで、日本中の人たちがほっとしました。
・ SARSは、これまで知られていなかった新型のコロナウイルスによる感染症であることがすでに分かっています。また、同じウイルスが、ハクビシンやタヌキ、その他の動物からも検出されたと報道されています。インフルエンザやエイズの場合も、ウイルスが動物から由来したことが知られていますが、今回もそういうことになりそうです。
・ 人類社会がこのような新種で重篤な病気と戦うためには、原因がいち早く究明されることが重要です。WHO=世界保健機構という国際機関が世界中の様々な国からの医師たちなどによって大変適切に機能していることで、原因の早期解明ができたと考えています。それから、DNAを直接解析する分子生物学が、最近15年ほどで飛躍的に進歩したことも大きく貢献しています。基礎科学者たちが成し遂げたことでした。

<病院で日々SARSと戦う医師たち>
・ 今回の感染者の特徴の一つに、病院の医師や看護師たちの感染者や、残念なことに死亡者が多いことがあります。未知の病気で、感染経路が解らなかったこと、感染の仕方が院内感染を起こしやすいものであったことが原因と考えられます。
・ 医師や看護師は、病人を治療するのが仕事です。感染症ももちろん対象ですから、感染予防の対策が病院では普段からとられています。とはいっても感染の危険性は、一般の人より高いことは、避けられません。漁師が海難事故の危険性が高いことや、トラック運転手が交通事故の危険性が高いのと同じです。
・ ただ、今回のように未知の病気で感染予防対策が十分解らず、院内感染の危険性が特に高く、現に多くの医療感染者が死亡している場合に匹敵する状況は、ほとんどありません。現に患者を前にしている医師や看護師は、大変な恐怖の中で仕事をしていると思います。逃げ出したい気持ちもあるでしょう。現に逃げ出す人もいるでしょうが、それを誰が非難できるでしょうか。

<逃げ出さずに勇気をもって戦う力>
・ 逃げ出さずに戦う医師や看護師がいなかったら、SARSはどんどんまん延し、もっともっとたくさんの人たちが死に、不幸な人たちで溢れ返ってしまいます。香港やベトナムやカナダや中国や台湾やその他の国々の勇気ある医師や看護師のおかげで、私たちは今、SARSの恐怖に直接さらされずに生活しています。
・ 私たち自身がそのような責任のある厳しい状況にさらされることはないかも知れませんが、逃げ出したい状況で逃げ出さない力を、少しでも、私自身もですが附属高校で学ぶ皆さんも身に付けてほしいと思います。

勝敗があることとないこと 2003. 6. 2 No. 9

<スポーツと勝敗>
・ 今週はクラスマッチが開催され、いろいろな競技が競われます。スポーツをするのが得意な人はもちろん、それほどでもない人も、楽しみにしていると思います。みんなが勝利をめざしてがんばってほしいと思います。
・ とは言っても、実際に勝つのは、いずれかのチームです。みんなががんばっても、競技では勝つチームと負けるチームが必ずあります。勝てばうれしいし、負ければ悔しい思いが心に生ずると思います。なぜスポーツには勝敗が付き物なのでしょうか。
・ スポーツに勝敗が付き物なのは当たり前だと思うかも知れませんが、どちらかが勝ってどちらかが負けるというのは、絶対そうでなければならないということではありません。例えば、バスケットなら時間内に40点以上得点したら勝ち、それ以下なら負けというルールにすれば、両方勝つということもあるし、両方負けるということもあります。優勝チームもいくつもあってもいけないわけではありません。
・ ところが、現実には、ほとんどのスポーツは勝ち負けがあるルールになっています。優勝チームは、ふつう1チームです。

<なぜスポーツには勝敗があるのか>
・ スポーツに勝敗があるのには、理由があるはずです。みんなが勝ったり、みんなが負けたりするのでは、ヒトがスポーツに求めるものが満たされないのではないかと思います。
・ それでは、ヒトがスポーツに求めるものは何なのでしょうか。狩りを儀式化したものであるというような考えを見たことがあります。でも、狩りなら、相対的な勝ち負けである必要はないように思えます。部族間の戦争の儀式化したものという考え方も繰り返し言われているようです。ただし、戦争の本来の目的は、食べ物や住む場所や使うものが十分得られればいいはずなのに、それ以上に勝敗をつけたがるところがあります。ということは、戦争から儀式化したことによってスポーツに勝敗が持ち込まれたのではなく、勝敗をつけたいという別の要因が、戦争にもスポーツにも勝敗を決するということをもたらしているのではないかと考えられるのではないでしょうか。
・ 私にはまだわかりませんが、何らかの理由で、ヒトはそもそも勝敗を決したいという気持ちが元来あるような気がします。スポーツは、その気持ちを、身体を動かすという欲求と共に満たしてくれます。

<スポーツへの取り組みとスポーツ以外への取り組み>
・ スポーツをするからには参加することに意義があるなどと言わずに、勝利を目指して精一杯がんばって下さい。負けたら悔しがってほしいと思います。
・ 一方、勉強とか、受験とか、人生を生きるとか言うことには、スポーツのような勝敗を持ち込む必要はないと思います。勝敗的な枠組みを使った方ががんばりやすいことはあると思いますが、そうでない取り組み方をしてがんばってほしいと思います。

自分で考えて決めて行動する 2003. 6. 9 No. 10

<クラスマッチの運営>
・ 先週行われたクラスマッチ(クラス対抗スポーツ競技会)では、多くの生徒が精いっぱい取り組んで充実した時間を過ごし、クラスのまとまりが深まったと思います。表彰式(閉会式?)でも話しましたが、学年間の交流を通して、特に1年生は多くの経験を積んでくれたと思います。このような学年間の交流を通して、学校の伝統が受け継がれていきます。
・ クラスマッチの運営は、ほとんどすべてをクラスマッチ運営部の幹部の生徒が中心になって行っています。私自身の高校時代も同じようなやり方の行事運営をしていたので、本校もしっかり生徒中心でいいなという程度の感覚でしたが、他校から転入されてきたある先生は、ごく一部の先生の関与だけであれだけの運営ができるのをとても感心していました。
・ とは言っても、運営に問題がなかったわけではありません。最終日の団体競技の騎馬戦の進行は、担当した生徒には厳しい言い方になるかもしれませんが、スムーズではありませんでした。スタンドから見ていて勝手に感じただけですが、その間担当教員はじっと我慢をしていて、次の綱引きではさすがに全体の時間進行を考えてやむを得ず、教員が少し表に出て援助していたように見えました。

<どう経験を積み、どう新しい事態に対処するか>
・ 今年のクラスマッチの最終日は、仮設校舎の建設のためにグラウンドが使えず、駒沢公園の球技場を借りて行いました。また、1年生が4クラスになり、2年生以上の各学年6クラスと合わせて全校でクラス対抗戦を行うために変則的な部分が出てきます。このような新しい事態への対処がいろいろ大変だったことが、一部スムーズでなかった運営の原因になっているのかもしれません。
・ 表彰式では、運営幹部のすぐ横で彼等の行動を見ていましたが、実にてきぱきと進行にあたっていました。ただ、意思決定と指令の中心が、2-3人の生徒に集中し、対処しなければならないことが次々に起こると、少し進行に時間がかかるように見受けられました。
かってな意見をあえて書くと、全体を統括する2-3人の中心的な進行係の他に、個々の部分の責任者が別にそれぞれ2-3人ずついて基本的な進行はその部分責任者にまかせる体制が組めるといいと思いました。そうすれば、問題が生じた時、中心的な進行係から適切な援助が入り、すみやかに問題を解決しやすいと思いました。ただ、十分経験を積んでいて力量がある人が、それほどの数いないのかもしれないとも思いました。・

<自分で考え、自分で決め、自分から行動すること>
・ 生徒の皆さんが、いろいろな状況で、「自分で考え、自分で決め、自分から行動する」経験をたくさん積むことで、改善されていくような気がします。そのような人たちがすでにいるから、生徒が運営する行事が行えていますが、もっとたくさんそういう人たちが増えれば、もっとうまく運営できると思います。

⇒ 続きのページ