入試の面接で伝えたいこと 2003.10.27 No.21
<推薦入試の面接>
・ 大学の推薦入試の季節がやってきました。昨年度までは面接をする立場でしたが、今年は、面接を受ける生徒を送りだす立場になりました。一つのことでも、反対側から見ると、気がついたりわかったりすることがあります。
・大学では、推薦入学や学士入学等の試験で面接(口頭試問)をやってきました。また、大学院の修士課程や博士課程の入試でも面接をしてきました。全部あわせると、もう300人近い受験生を相手に面接をしてきたと思います。どれも、数人の教員で行う15分から25分程度の時間をかけた、かなり丁寧な面接です。
・ 大学院の受験生は、面接の時受けた印象や都立大学への適性が、入学後の印象や成果と、ほぼ一致します。ところが、大学(学部)の受験生は、しばしば入学後の印象や適性が面接の時の判断と大きく異なることがあります。私自身が、まだあまり面接に慣れていない時が特にそうでした。
<高校での面接の練習>
・ 先日、推薦入試を受ける生徒の面接の練習に、模擬面接員として参加しました。昨年までにその大学の面接を受けた先輩が詳しい記録を残してくれていて、今年の受験生もそれを見て質問されそうな内容を知ることができます。模擬面接員である私も、その記録を見ながら質問しました。
・ 私が担当した練習では、受験する本人が、自分の意欲や適性や能力を、短い時間でしっかりと相手に伝えられるよう、模擬質問をし、直すとよいところを指摘し、助言をしました。
・ でも、学校や先生によっては、違う形で教え込み、よい点数をとれる面接の答え方を単に覚えさせるような練習をしているところもあるのだと思います。そう考えると、今まで、入学後に面接時と印象の違う生徒がいたことが納得できます。そのような教員の対応の仕方は、やはりちょっと違うのではないかと思います。
<面接にどう臨むか>
・ 面接を行う立場からすると、入学後や将来、何をしたいかや、どうしたいかを単に聞いてもあまり意味がないことがわかります。また、誰でもが同じような準備をできる質問もあまり意味がありません。受験生の過去の経験をできるだけ具体的に聞いていき、その経験と入学後の勉強や将来の希望との関係を中心に質問するのがいいのではないかと思います。
・ 面接を受ける皆さんも、まず、しっかりとたくさん経験を積み、その経験から自分のやりたいことをよく考え、その考えをわかりやすく言葉にできるように準備をして下さい。相手の学校、学科、先生をよく調べ、自分がなぜそこで勉強したいかを、はっきりさせておくことも重要です。
・技術的には、質問に対して、はっきり、短く、相手の目をよく見て答えるといいと思います。
人はどうやって変われるか 2003.11.10 No.22
<人はどのぐらい変われるか?>
・ 33年前に卒業した中学高校の同期会が先日ありました。「附属高校の校長を兼務している」と報告すると、かつて担任としてお世話になった先生から「あなたみたいにおとなしい人に校長がつとまるの?」と言われてしまいました。昔のイメージを憶えていただいていることはうれしかったのですが、先生の中では私のイメージは止まったままなのだと気がつきました。
・私の答えは、「35年もたてば変わりますから」というものでした。4月の着任以来、校長としていろいろご無理をお願いしてきた附属高校の先生方や教育庁の担当者の皆さんには、私が「おとなしい」と言われては「どこが?」という反応の方が多いと思います。生徒や保護者の皆さんは、それほどではないかもしれませんが、やはり「おとなしい」という印象とは違うと思います。
・ 中学高校時代でも、中心の一人として活動していた生物部や視聴覚(放送)委員会での様子を知っている人は「おとなしい」という印象はあまりなかったと思いますが、授業やクラスの活動では、元気な級友たちからは一歩ひいて、積極性をそれほど表に出すタイプではなかったことは確かです。
<どのように変わってきたか>
・ 小学校から高校のころまでは、授業で自分から進んで質問したり発言したりすることは、ほとんどありませんでした。指名されるとちゃんと答えたり質問したりできたらしく、手元に残っている通知表にも、「よい考えを持っているのだから自分から積極的に発言するように」という趣旨のことを何度も書かれています。
・ 自分自身でも、もっと積極的に発言や行動をしなくてはいけないと思いつつ十分にはできなくて、あせりのような気持ちがあったことを憶えています。別の担任の先生からは年賀状で「考えない人生は無意味ですが、考えてばかりいる人生もまた無意味です。ご研鑽を!」という言葉を書いていただきました。
・ それが、都立大学生物学科に入学すると急に授業でも「おとなしく」なく、うるさがれるぐらいに質問したり発言したりできるようになりました。大学院に入学して研究を始めるようになると、必要があれば、どんな人とも積極的に話せるようになりました。
<何が変わるのに役だったか>
・私の場合は、(1) 先生や友人から変わった方がいいという助言をいただき続けたこと、(2) なかなかできなかったけれど自分でも変わりたい、変われるのではないかと思い続けていたこと、(3) 友人たちの中にお手本になる人たちがたくさんいたこと、(4) 大学、大学院と異なる人たちの中に入っていく機会ごとに、それまでと違う自分をうまく表現できたこと、などが役にたって変わってこれました。皆さんも、変わりたい自分をしっかりイメージして、時間がかかっても持ち続ければ、きっと変われると思います。
あせらずにゆっくり変わっていく 2003.11 24 No.23
<人はどのぐらい変われるか? その2>
・ 前回の続きです。中学時代の担任の先生に「あなたみたいにおとなしい人に校長がつとまるの?」と言われたことを軸に話しました。その話を、80才を越える母にしたところ、「そうねえ、お弁当に箸を持ち忘れていくと、ちゃんと食べてこれるか心配だったものね。」と言われてしまいました。小学校は給食でしたので、中学時代の話です。
・自分でもそんなことは全く覚えていませんが、母が思い出すのですから、きっととても頼りのない印象が残っているのでしょう。中学時代も、何もかも頼りなかったはずはないのですが、いつもと違うことが起こると、自分でその問題を解決できないというところがあったということだと思います。
・ 一方、校長という役は新しい問題解決の連続です。特に、私のように大学勤務から突然、校長兼務を命じられたり、新しい中等教育学校の準備も進めなくてはならない立場では、次々とやらなければならないことを考え、解決法を探り、実際にやってみるということの連続です。お弁当の箸の心配をさせたところからは、ずいぶん変わったものだと思います。
<なにもかも頼りなかったか>
・ 前回、今回と読んできた方には、私の中学時代がとても頼りなかった印象を与えたかもしれませんが、何もかも頼りなかったわけではありません。視聴覚(放送)委員会では、副委員長、委員長を務め、入学式や卒業式も含め、行事等の放送関係は先生方の援助をほとんど受けずに担当していました。
・ そういう意味では、すごく頼りがいがある部分と、とても頼りがいがない部分が、混在していたのだと思います。難しい問題や周囲に対して責任があるようなことでは比較的頼りがいがある部分がでるのに対し、個人的なちょっとしたことでは考え込んで迷いはじめ決断できなくなってしまったような気がします。
・ 若いということは、そういうアンバランスな状態をたくさん持っていることではないでしょうか。何もできない赤ちゃんの段階から、いろいろなことができるようになって成長していくのですが、だれもバランス良く成長することはありません。あることは早くできるようになり、あることはかなり遅れてできるようになります。そのパターンは人によって違います。
<どのように変わっていってほしいか>
・人がどのように変わるかの変わり方は、すごくたくさんあると思います。私の経験からすると、足りないところ、不十分なところを直していくのは焦らずに、じっくりと考え続け、悩み続けてもいいような気がします。一方、自分のいいところ、得意なところ、人より早くうまくできるようになったこところは、思いっきり力をいれて伸ばしてください。そうすると、それがやがて不得意なところにも影響して、そのうちバランス良くできるようになると思います。
悲しみの中で考えたこと 2003.12.1 No.24
<悲しいこと>
・ その日は、朝、都立大学の駅を降りて歩き始めてすぐ、「一期一会」という言葉が頭に浮かんで、午前中ずっと、その言葉について繰り返し考えていました。茶道に由来する言葉で、文字通りは、一生に一度の出会いということです。
・その意味するところは、どんな出会いでも、たとえ繰り返し訪れるような出会いでも、一回一回、一瞬一瞬、たった一度の出会いのように、大切に、ていねいに向き合おうということだと、いつか教わりました。4月から夢中で校長という役をはたして来ましたが、ここのところちょっと余裕が出てきて、少し新たな気持ちで取り組もうとしている中で、ふと頭に浮かんだのだと思います。
・ その日のお昼過ぎ、目を赤くした先生が校長室にいらっしゃり、ある生徒が亡くなったことを知らせてくださいました。重い病気との闘いから、もう帰れなくなってしまったとのことでした。この生徒であると意識したことはありませんでしたが、きっと4月以来、何度か顔を合わせていたのだと思います。もしかしたら、あいさつを交わしていたかもしれません。この生徒との「一期一会」を十分大切にしていたかどうか、考え込みました。
<学校へ通うことの重み>
・ 同級生たちに伝えたり、いろいろな方に連絡をしたりの、きっととても悲しくて忙しい時間を過ごされた後、夕方の暗くなった時間に、もう一度その先生が校長室を訪ねてくださり、亡くなった生徒の4月以来の様子をいろいろ教えてくださりました。
・ その生徒は、その前の4月の入学でしたが、入学直前に重い病気であることがわかり、昨年度は病気療養でほとんど学校には来られなかったとのことでした。今年の4月からは、希望と不安の中で、どうしても学校に通いたいという強い意志で、時にはつらい身体で、学校へ通っていたとのことでした。
・ 学校では、級友たちと一緒に普通の高校生活を送っていたと伺いました。送ろうと一生懸命だったということかもしれません。十分には通学できなかったためにテストで悪い点をとれば、なんとか挽回しようと努力していたとのことです。それこそ、一日一日を、一瞬一瞬を、「一期一会」というような気持ちで過ごされていたような気がします。
<その気持ちを受け止めようとしていること>
・ その生徒がどんなにつらい思いをしたかは、私にはほんとうのところはわかりません。また、どんな気持ちで学校へどうしても通いたいと思ったのかも、想像するだけです。それでも、私なりに少しわかるような気がしますし、少し想像できます。
・深谷美弥子さんとの「一期一会」は、こうして別れの後ですることになってしまいました。これからは、今まで以上に一日一瞬の、いろいろな方々との「一期一会」を大切に生きていきたいと思います。
出題者の意図を自分で考える 2003.12.8 No.25
<出題者の意図>
・ 期末試験の週です。少しでも良い点をとるために、「出題者の意図」について考えます。私が高校生の時の様に、定期試験で良い点をとることに別に意味がないと思っている人でも、大学入学や入社のために試験がありますから「出題者の意図」を考える練習自体は意味があると考えていただけると思います。
・ 出題を予想するのは、俗に「ヤマをかける」ともいいます。私はこの試験問題の「ヤマをかける」のが結構得意な方でした。それは、「出題者の意図」をわかるのがうまかったと言うことだと思います。また、出された問題にどう答えるかについても、「出題者の意図」を考えることが必要です。
・出題者の意図を想像しながら予想した問題が特にあたった想い出は、都立大学の大学院入試の生物の問題でした。8問中、5問ぐらいが何らかの形であたったような記憶があります。大学院入試は出題する人がわかっていて、その人の授業を聞いているわけですから、過去問をずっと見ていくと出そうな問題が見えてきます。いくつか出そうな問題のうち、どれが一番でそうだと思うかは、ほとんど説明しにくい感の世界です。
<私が出題する時の意図>
・ まず、私自身が試験問題を出題するときの意図について、手の内を明かしてみます。定期試験も入学試験も、他の人と比較して点数をつけることが目的のひとつですから、比較して点数がつけやすい問題ということを考えます。定期試験の場合は、その学期に教えようとしたことをどのくらいしっかりと理解し身につけてくれたかを見たいと思います。入学試験の場合は、大学で教えようとしている教育課程にできるだけ合っている人が良い点をとるようにと考えます。
・ 次に、出題する問題が、試験を受ける人たちの勉強を私が望ましいという方向に誘導することを考えます。このため、私の場合は定期試験ではほとんど予告問題です。予告問題だと、ストレートにそこを勉強しなさいというメッセージになります。私の出す問題は、答え方がいろいろある問題ですから、どう答えるかを考えていただければ、自然に出題者の意図を考えることになります。入学試験では、過去問を研究されることを意識して、次年度以降の受験生にできるだけ有意義な受験勉強をしていただけることを考えます。
<他の先生の出題の意図>
・ 私はあまり使わないけれど、使われることも多いと思う方法を書いてみます。(1)予告問題の代わりに出そうな問題の範囲を言う。(2)普段の授業で強調したところを出題する。(3)逆に、授業の細部までしっかり理解していた人だけが解ける出題をする。(4)良くできる人とあまり出来ない人の両方を考えていろいろな難しさの問題を組み合わせる。(5)生徒が予想しそうな問題の裏をかく。(6)採点がしやすい。(7)問題についてクレームをつけられる可能性が少ない。(8)過去問と異なる。
自分が困っても他人を助ける人 2003.12.15 No.26
<すてきな人>
・ 毎週水曜日は午前中大学に行っているので、その日も8時少し過ぎに、大学のある京王線南大沢駅のホームに降りました。ホームの前の方で閉まりかけたドアから飛び出ようとする人がいて、車掌がもう一度ドアを開け、その人は無事に降りることができました。
・ 寝ていて降りそこないそうになってあわてて飛び出たのかなと思っていると、その20歳代ぐらいの女性は小走りに混雑した階段の方に行って何か叫んでいます。すると、50歳ぐらいの男の人がその人のところに戻って、何かを受け取り頭を下げてから、階段を上っていきました。渡した女性は、反対を向いてホームに戻っていきました。
・私は、そこでその女性とすれ違ったのですが、実におだやかな普通の表情で、次の電車を待つ風情でした。私はとてもすてきな人だなと思いました。
<ちょっと人を助けるとっさの行動>
・ そこで起こったことの私の想像はこうです。男の人が電車を降りようとしたときに電車の中で何かを落としたのだと思います。その女の人は、電車のドアが閉まる寸前にそれを見て、とっさにそれを届けようと思ってすぐに拾い、閉まりかけたドアから飛び出して、その落とし物を本人に届けたのだと思います。
・ 飛び出たとき、落とし物を受け取った人は、ずいぶん先の方を歩いていましたので、もしかすると落とすところ自体は見ていなくて、人がほとんど降りた後、落としたものを見つけたのかもしれません。いずれにせよ、自分が降りない駅で、落とし主に渡そうと思ってすぐ行動したのだと思います。
・ 渡したあとの表情が、電車を一本遅らすことになって残念だということもなく、特にいいことをしてよかったというのでもなく、まったく当たり前のことをしたという自然な表情だったのが、とても印象的でした。
<どうしたらすぐ行動に移せるか>
・ 近くにいる人が落としたものを、ひろって渡してあげた経験は多くの人が持っていると思います。私もずいぶん長く生きてきましたから何度もあります。でも自分が乗っている電車から降りて次の電車になってしまうのにそれができるような気はあまりしません。まして、閉まりそうなドアにぶつかりそうになりながら飛び出てそれを出来ることはなかったと思います。
・ 駅でみた女性が、どうしてそれができたのかな、と考えてみました。きっと、ご両親か、学校の先生か、友達かの中で、いいと思ったことをとっさに行動する人がいて、その人の行動を近くで見ているうちに、自分でも自然にそういう行動がとれるようになったのかなと思いました。
・ 私も、今回その女性を見て、ここで書いたように自分なりに考えましたので、今度そのような機会があったら、自分の不都合は省みずに、とっさに行動ができるような気もします。皆さんもこれを読んだら、そんな気になっていただけるでしょうか。
インフルエンザの新薬の画期的な開発 2004.1.26 No.27
<インフルエンザの新薬>
・ 1月の13日から16日まで2年生の修学旅行の引率で沖縄に行ってきました。いろいろ楽しんだり勉強になったりで良かったのですが、最初の2日間が寒かったこともあって、最終日には10人以上の生徒がインフルエンザにかかり、少しその世話もしてきました。
・ 羽田空港での解散後、15分もかからずに家にたどりついて、夕食の後疲れを感じてすぐ寝床に入り、熱っぽかったので体温を測ると、38度を超えていました。そのうち38.8度まで上昇したので、インフルエンザにかかったのではないかと思いました。(インフルエンザの人と一緒にいた後、1−4日後に急な38度以上の発熱があれば、インフルエンザにかかった可能性が高いということを知っていました。)
・翌朝すぐに病院へ行って診察を受けると、鼻腔の奥から綿棒で粘液を採取されてインフルエンザかどうかの検査を受けました。20分ほどで結果がわかり、A型のインフルエンザと診断され、2年ほど前から一般に使われるようになった新薬を処方されました。
<新薬はどう開発されたか>
・ 以前は他の多くのウイルスによる病気と同じく、インフルエンザに直接効果的な薬はありませんでした。医者にかかって処方される薬も、熱や炎症やセキ・痰等を抑える薬や、細菌性の気管支炎や肺炎の合併症を抑える抗生物質だけでした。ヒトに感染するウイルスはヒトの細胞の中に入って増殖するので、ヒトの細胞に悪影響を与えずに、ウイルスだけに効果を及ぼす薬を探すのは、ほとんど不可能に近いことでした。
・ インフルエンザに効果的な新薬が使用されるようになっていたことは知っていたのですが、自分が処方されて、インターネットでその新薬がどう開発されたのかを知ることができました。薬の開発もここまで進歩しているのかと驚きました。
・ 以前の薬の開発は、たくさんの化学物質を闇雲に試したり、すでに知られた薬と似た構造の化学物質をたくさん試す中で、見つけられてきました。今回の、インフルエンザの新薬は、ウイルスのたんぱく質の結晶構造を解明して、そのたんぱく質に効果的に結合しそうな化学物質を設計して合成し、開発したとのことでした。そのような試みがされているのは知っていましたが、すでに実用されているとは知りませんでした。
<新薬の効果>
・ 今回の新薬は、細胞の中で増殖したウイルスが細胞外に放出されるのを止める働きのあるもので、飲んでもすぐには効きませんが、1日ほどで劇的に熱が下がりました。私の場合、インフルエンザにかかると3日ほど熱が続くことが多いので、1-2日早く直った感じです。薬の説明にも一般にもそうだと書いてありました。
・ 皆さんも、インフルエンザかもしれないと思ったらなるべく早く医師の診断を受け、必要ならなるべく早くその新薬の服用を始めるといいと思います。
常識にとらわれない画期的な走り方 2004.2.2 No.28
<常識から離れた走り方>
・ ニュース番組に、陸上短距離の200メートルで、昨年夏の世界選手権で銅メダルをとった末續慎吾選手とコーチの高野進氏が出演していました。軽い興味を持って話を聞いていたのですが、ある話のところでとても衝撃を受けました。それは、右手と右足のように同じ側の手足を同時に前に出すような動きを取り入れているということでした。
・ 人種によって体格や筋力が異なりますから、陸上の100メートルや200メートルのような短距離で、日本人が世界選手権やオリンピックでメダルに手が届くということはないのではと思いこんでいました。ところが、体格や筋力にあった走る技術を高めることで、十分戦えるということがわかりました。
・それも、あっと驚く発想からの技術です。歩くときも、走るときも、右手と左足、左手と右足のように逆側の手足を同時に前に出すのがバランスがとれてうまく歩いたり走ったりできると教わって、自分でもそう信じてきました。ところが、必ずしもそうではないことが末續選手のことを聞いてわかりました。
<子供の走り方>
・ 末續選手のニュース番組を見ながら、すぐ思い出したことがあります。私の娘が小さかった頃、右手と右足を同時に前に出す歩き方や走り方をしていたことです。私と妻は、何の疑いもなく、それをやめさせて「普通」の歩き方、走り方をするように矯正していました。それがバランスが良くて速く歩いたり走ったりできる「正しい」歩き方、走り方だと、思いこんでいたからです。
・ 娘にそのことを話すと、しっかり覚えていて、直されたと言います。きっと、自分でも腑に落ちないところがあって、覚えていたのではないかと想像します。昔は、左利きを右利きに無理に矯正していたのが今ではそれほどでもなくなったように、子供の歩き方や走り方も、これからは、もっといろいろな形が受け入れられていくかもしれません。
・ とはいっても、逆の手足を同時に出すことでバランスがとれることも間違いではないような気がしますので、子供への指導法は、今後研究されていくのだと思います。
<常識にとらわれない発想>
・ 私は、30年ほど研究を中心の生活をしてきましたから、研究の面では常にこれまでの常識や定説にとらわれない発想をしようと心がけてきました。そのことでいくつかの面白い発見もしてきました。それでも研究から離れると、常識的な考えを身につけそれを実行することをもっぱらしてきたような気がします。
・末續選手の走り方のことから私が学んだことは、研究以外の日常的なことでも、まだまだ、間違った常識や思いこみがたくさんあるということでした。どんなことでも、しっかり疑って、自分なりに考え、新しいことを試すことで、展望が開けるのだと思います。
精一杯に好きな勉強をした先の職業 2004.2.9 No.29
<どんな職業をめざすか>
・ 「13歳のハローワーク」(村上龍著:幻冬社)という本がベストセラーになっていて、本屋さんにたくさん積んであります。私も一冊買って読み始めました。世の中に何百とある職業をリストアップして、それぞれどんな仕事で、どんなことが好きな人がどんな力を付ければそれぞれの職業につけるかが、中学生にもわかるように書いてあります。高校生にも、大学生にも、すでに働いている人にも役立つ本で、皆さんにもぜひ読んでほしいと思います。
・ 人が生きていくためには、食べる物、住む家、着る衣類はもちろん、情報を得ること、楽しむこと、コミュニケーションの手段、移動の手段、等々いろいろなものやサービスが必要です。それらをすべて自分や家族が自前で用意することはできませんから、他人や商店、会社などから買う必要があります。
・それらを買うためにはお金が必要です。そのお金を得るためには仕事をして、あなた自身が他の人たちがほしがる物やサービスを提供することが必要です。それが職業について仕事をするということですが、「どんな職業をめざすか」ということが、大問題です。
<好きなことで職業をめざして良いか>
・ 村上龍氏の本には、自分が好きなことを出発点にして、自分でよく考えて、自分にあった職業をめざしていこうというメッセージが溢れています。それによって、それぞれの人が、そして社会が幸せになれるというメッセージです
・ ただし、単に好きなだけでは不十分で、そこで生み出す物やサービスを、誰かや社会が欲しがったり必要としていなければなりません。欲しがられたり必要とされなければ、それによってお金を得ることができないからです。これは、あなたがお金を払う方の立場となったことを考えれば、すぐわかると思います。
・ ぜひ、自分が好きなことで、しかも、他の人や社会が欲しがったり必要としたりすることは何かということをよく考えて、将来何を職業にしていきたいかを考えてみてください。
<将来の職業を考えすぎてもほしくないということ>
・ 将来の職業のことを考えるのも必要ですが、高校生や大学生のうちから職業のことを考えすぎるのも、マイナス面があると思います。大学で生物学を教えてきて感ずるのですが、以前は社会の中で生物学がそれほどもてはやされていませんでした。そのころ生物学を志していた学生は、将来の職業のことはあまり考えずに、勉強や研究に精一杯取り組み、やがて立派な研究者や大学教員や公務員や高校教員になっていきました。
・ところが、最近、社会の中で生物学が重要だということになってくると、就職のことをまず考えて、生物学の勉強や研究を必ずしも精一杯頑張っているとはいえない学生が増えてきてしまったような気がします。就職のことなどあまり考えずに、まず、好きなことを力一杯やる方がいいという面もあると思います。
本番で実力を発揮する 2004.2.16 No.30
<入学試験にどう取り組むか>
・ 3年生は私立大学の入学試験のまっただ中です。来週には国公立大学の入学試験もあり、都立高校の入学者選抜検査もあります。今さら遅いかもしれませんが、入学試験にどう取り組んでほしいかを書いてみます。
・ 入学試験は、合格する人と不合格になる人がいます。それ自体がいけないことだという立場は、ここではとりません。ですから、みんなが合格すればいいということにはなりません。自分の力に合った適切な志望校選択ができていたのであれば、自分が持っている力をしっかり発揮して、合格できるように仕上げの努力や工夫をしてほしいと思います。
・オリンピックでも学校の体育祭でも、スポーツ大会のことを思い浮かべてもらうと、本番で実力を発揮することのイメージがつきやすいと思います。最高タイムが本番で出る人と、練習でしかでない人がいます。できるだけ多くの人が本番で最高タイムがでるようになってほしいと思います。それで試験に合格する可能性が高まるというためだけでなく、人生で成果をあげたり人の役に立つためにも、ここぞという時に最高の力を発揮することが意味のあることだからです。
<試験本番で最高の力を発揮するために>
・ それぞれの人が、今までの人生で普段以上の力を発揮できた経験があるのではないかと思います。それは、試験だったり、スポーツだったり、自分で取り組んだ勉強や趣味だったりいろいろだと思います。そのイメージをゆっくり深呼吸しながら思い出してみてください。そして、そのイメージを今度受けようとする試験に重ねていって、今度もまたうまくいきそうな気持ちに入っていってみてください。
・ それほどの成功体験がないひとは、今までの人生で幸せだったり楽しくて、リラックスしていたシーンを思い出してください。そのシーンに今の自分を重ねていって、リラックスした気分、安心した気分を、確認してください。
・ 最高の力を発揮するためには、自分の力を信じて気持ちを集中していくこと、結果について心配せずにリラックスして取り組むこと、が効果的な気がします。
<どうしたら心配せずに試験に集中できるか>
・ 不合格になったらどうしようとか、自分の勉強していない問題が出たらどうしようとか、まわりの人はみんな自分よりできそうだとか、試験の時に不安になるのは良くあることです。もっと勉強しておけば良かったと思ってももう遅いので、試験開始後に1点でも点数を上げることだけを考えてみてはどうでしょうか。
・試験場でできることで、効果的なことは、各問題への時間配分だと思います。たいていの試験問題は、多くの人ができる問題、半分ぐらいの人ができる問題、多くの人ができない問題に分けられます。多くの人ができない問題に時間を使いすぎないこと、多くの人ができる問題には最後にうっかりミスをチェックする時間を確保することが、効果的だと思います。